部活を引退した中3の夏、
姉の誘いでビリヤードに出会った「ちぃ」は、
すぐ虜になってすぐ練習の虫になった。
そしてもう一つ、その年末に
大きな出会いが彼女を待っていた――。
日本女子ポケットビリヤードの
「新女王」の初めて物語。
取材・写真・文/B.D.
――初めてビリヤードをしたのは?
中3の時、14歳の8月です。私、ソフトボール部だったんですけど、引退してすぐでした。
――誰かと一緒に?
姉に連れて行ってもらいました。近くにあるボウリング場の中のビリヤード場に。
――お姉さんはビリヤード経験があったんですか?
はい、先に1、2回ビリヤードをやって面白かったみたいで、私に「一緒に行ってみる?」と。姉は6歳上でその頃20歳だったんです。
――初めてのビリヤード場、ドキドキしました?
したかなぁ。姉がいましたし、ビリヤードフロアはガラス張りの1Fで、蛍光灯が点いてて明るくて。上の階のボウリングに行く時にビリヤードのフロアも見たことはあったんですよ。
――どのぐらいの時間、何をして遊びましたか?
2、3時間かな。姉任せでしたね。ナインボールをしてたと思います。順番通りに当ててたから。
――フォームとかはお姉さんから聞いて?
そう。オープンブリッジを教わったのは覚えてます。「左手をパーにして。ここにキューを乗せて」って。
――その時もう手球をちゃんと撞けたんですか?
撞けた……と思うんですよ。空振りした記憶はそんなにないです(笑)。
――ソフトボールもやってたし、運動センスがあったんでしょうね。
そう言われるとそうかもしれません。姉も撞けてましたしね。姉妹揃って運動神経は良いです。
――初めてのビリヤードの感想は?
的球は全然入らないんですけど、撞いた手球が的球に当たるのがただただ楽しかったです。そして、強く撞くのも楽しかった。
――なぜでしょう?
強く撞けばボールがいっぱい動くじゃないですか(笑)。
――その後は?
姉も私もすごく楽しかったから、2、3日続けて行ったんです。顔を見合わせて「行く?」「うん!」みたいな感じで。
――いい姉妹ですねぇ(笑)。
そうしたらお店の人が、「センターショット」を教えてくれて、ずっとそれをやるようになりました。
――ここに一人、プレイヤーが誕生しましたね。
そのお店に10回通う頃には一人でも行ってましたね。でも、やっぱり一人で撞くのは恥ずかしくて、1時間ぐらいで辞めてましたけど(笑)。それでも、他のお客さんともしゃべるようになって、色々と教わったりもしていました。
――そのお店は今は?
ありません。私はしばらくしてから、『佐野ビリヤード』に移ったんですけど、何ヶ月かしたらそのボウリング場の所はなくなってました。移った先の佐野ビリヤードも今はないんですけどね。
――移った先ではどんな風に?
完全に一人でお店に行けるようになっていたし、恥ずかしさも薄れてたので、一人で練習する時間がだいぶ増えましたね。毎日のように行ってました。お店の人もお客さんも親切で基本から教えてくれたし、一緒に撞いてくれました。
――僕の印象では河原プロは「練習の虫」で……。
もう当時からそうだったでしょうね。センターショットが気持ち良かったんですよね(笑)。何がそんなに私を熱くさせたんでしょうねぇ(笑)。
――ホントですね。
当時の常連さんはA級とかSA級の人が多かったんですが、皆さんフォームやストロークがキレイだったので憧れていたのは確かです。それから単純に「巧くなりたい!」と思ってましたね。
――そこまでのめり込んだものってそれまでにありましたか?
ビリヤードが初めてです。
――ソフトボールは?
それがですね。私、ピッチャーだったんですけど、部活をやりながら気付いてたんですよ、練習が嫌いだってことに(笑)。他校のピッチャーと比べても「練習してないなー、私」って思ってました。
――(笑)意外です。
でも、ビリヤードは「めっちゃ面白くて毎日やりたい!」というものでした。「これがハマるってことか!」と。
――ちなみにお姉さんは?
姉もずっとやってましたよ。今はやってませんが、10年はやってましたね(※河原プロの姉はJPBA大江明プロと結婚した)。
――プロ入りは20歳でしたね。
プロテストは19歳の12月でした。翌年の1月に20歳になって、関西オープンがプロデビュー戦でした。
――今プロ9年目ですが、河原プロはビリヤードをしていてどんな時が楽しいですか?
練習したことが試合で結果として現れたら嬉しいですね。昔から練習はこだわってきっちりやってきたから……。
――ビリヤードを始めたばかりの人に上達の秘訣を。
(長考する)……「楽しく!」ですね。「練習しなきゃ」ではなく「練習が楽しい」と思えれば上達すると思います。私はそうでしたから。
――ええ、わかる気がします。
それと、ビリヤードはレベルが変わってもその段階段階で楽しさがありますね。…………いや、取材でこういう質問をされることが増えたんですけど、「これ!」っていうのが言えないんですよねぇ。私、そんなに深く考えてないのかなぁ(笑)。
本来ならばここでインタビューは
終わりだけれども、
一度ちゃんと聞いてみたかった
ことがあったので時間を延長した。
――河原プロは「女王」梶谷景美プロをお手本にしていたことを公言していますね。
はい、梶谷さんしか見本にしていませんでした。
――それはいつから?
ビリヤードを始めたその年です。『全日本選手権』(1999年)を観に行ったんですけど、梶谷さんがジェニファー・チェン(台湾)とファイナルを撞いて優勝したんですね。
――ええ。
初めて生で見た梶谷さんは、もう全てがカッコよくて、全てがキレイで、全てを参考にしたいと思いました。
――全て、ですか。
はい、フォームから何から何までですね。グリップ、ストローク、ブレイクのタイミング、素振りの回数、ブリッジ……。もちろん映像ソフトも見ました。
――その惚れ込み方はすごいですね。
私、ブリッジは初めは「フィリピンブリッジ」だったんですけど、梶谷さんが「スタンダードブリッジ」だったので、スタンダードに変えましたから(笑)。
――なぜそこまで?
「この人になれれば一番になれる!」と思ったんですよ。それと、全日本選手権はプロだけのステージだから、「プロになりたい」とも思いました。
――梶谷プロとの初対面は?
18歳の時かな? 全日本選手権にレフェリーのお手伝いとして行って、会場のロビーで一緒に写真を撮ってもらいました。緊張で顔真っ赤っかでした(笑)。サイン入りの選手パスをもらったのもその大会の時です。
――梶谷プロも覚えてますかね。
プロになってから梶谷さんにその時のことを話したら覚えてらっしゃいました。
――プロ入りしてからの交流は?
よく喋るようになったのはプロ入り2年目からですね。私が台湾の大会のステージ1(現地予選)を通過して、本戦に梶谷さんと共に出ることになったので、食事を向こうでご一緒する機会があって。それ以降、そんな感じで海外で一緒になることが多くなりました。
――河原プロはランキング日本一が2度あります。梶谷プロと肩を並べるような域に来ました。
もちろん今も梶谷さんを尊敬していますが、「憧れの人」から「対等なプロ」という関係性になれたと思っています。
――それはいつぐらいから?
今プロ9年目なんですけど、プロ6年目ぐらいからかな? そんな風に感じ始めたのは。
――それはどんな気持ちなんですか?
「ファンとして見続けてきた対象である人と、こういう関係になれたのはホントすごいなぁ」って。だから、よく思うんですよ、「夢が叶ってるなぁ」って。
河原千尋プロはこんな人→
2010年&2011年JPBA女子ランキング1位
ニックネームは「ちぃ」。
1985年1月5日生まれ。
大阪府出身&在住 A型、山羊座。
JPBA(日本プロポケットビリヤード連盟)39期生。
所属・スポンサーは、
MEZZ、斬タップ、BILLIARD HALL FLUKE !、GOD DRAGON
プレー:EXCEED河原千尋モデル「804CK」
※シャフトはWD700、タップは斬S
ブレイク:MEZZ POWER BREAK PB-K DI-PROシャフト
ジャンプ:MEZZ AIR DRIVE AD-K
ケース:MEZZ JPC-35K(3B5S)