国内No.1プレイヤー、大井直幸が
プロ(JPBA)13年目にして
遂に国際大会初優勝。
2018年9月、大井は単身中国に渡り、
(9ボール)に参戦。
アジアを中心に各国の強豪ひしめく
フィールドを堂々たるプレーで
勝ち進み、一気に頂点まで駆け抜けた。
JPBAプロとしては昨年の羅立文の
『9ボールアジア選手権』(3連覇)以来、
そして日本人選手としては2011年の
赤狩山幸男の『9ボール世界選手権』
以来となる国際タイトル奪取となった。
試合翌日、北京から上海に移動していた
大井に自身の戦いを振り返ってもらった。
Photo Courtesy of
Alison Chang / Taiwanese Passion for Pool
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Naoyuki Oi
JPBA40期生
1983年1月10日生 東京都出身
JPBA年間ランキング1位・5回('06年、'12年、'14年、’15年、’17年)
2012年『9ボール世界選手権』3位
2014年『全日本選手権』準優勝
2017年&2018年『ジャパンオープン』準優勝
2017『ワールドゲームズ・ヴロツワフ大会』銅メダル
2017『USオープン9ボール』5-6位
2018『CBSAツアー 中国・密雲戦』優勝
『関西オープン』優勝1回
『全日本ローテーション』優勝3回
『北陸オープン』優勝5回
『北海道オープン』優勝3回
『東海グランプリ』優勝4回
『グランプリイースト』(GPE)優勝3回
『グランプリウエスト』(GPW)優勝16回
『ワールドカップオブプール』3位・2回
他、優勝・入賞多数
使用グローブ&キューケースはOWL、
使用タップは斬(ZAN)
使用キューはHOW(ハオ)
FLANNEL所属
――ゲームボールを撞く直前、笑顔だったように見えました。
「ああ、あれは『こんなゲームボール、イヤや』っていう顔です(笑)」
――えっ!?
「あの前の8番を入れた時、もうちょっと会場が盛り上がらないかなと思って、軽くあおってみたんですけど、シーーーン……(笑)。お客さんが少なかったのもあるんだけど、半端じゃなかったですよ、あの冷え方、あのアウェー感。そもそも決勝戦で僕のプレーに拍手してくれたのはただ一人、T・ホーマンだけ(笑)。たぶん僕を応援するというよりは、場のバランスを取る意味の拍手だったのかなと思いますけど」
――では、あれは苦笑いだったんですね。
「そうそう。いや、色々と想像はしてたんですよ。勝ったら、D・アプルトンぐらいテンション上がるのかなとか(※2012年9ボール世界選手権優勝時。咆哮しながらキューを放り投げ、テーブルに飛び上がった)。でも、全然何もなかったです、アウェーすぎて(笑)」
――ゲームボールを入れて、キューを掲げました。
「一瞬だけ嬉しかったです。でも、ああいう時すぐ素に戻っちゃうんですよね、僕は。なんでか知らないけど」
――ラストラックの緊張感は?
「最後はもう相手(中国の孔徳京)が心折れてたのがわかってたので、『勝負はついたな』という気持ちもあり、こちらの緊張感は抜けてましたね。でも、あそこに至るまでにはだいぶ緊張はありました。かなり気合い入れて撞いてたし、実際良い球が撞けてたと思います」
――準決勝も決勝戦もほぼ思い通りにスムーズにプレー出来ていたように見えました。
「そうですね。それは一番には、完全に新しいキュー(『HOW』〈ハオキュー〉)にアジャスト出来ていて、キューとの信頼関係が100%出来てたから。あとはテーブルとボールとの戦いだけでした。でも、それもベスト32で劉海濤(中国)とやってる時にパッとわかったんですよ。『あ、こうやればもうこのテーブルは絶対大丈夫だな』と。その瞬間からだいぶ綺麗に撞けるようになったと思います」
――シュートにほとんど不安がなさそうでした。
「そうですね。ポジションミスはちょうちょろやってたけど、でも、それもそんなに気にならないぐらいの精神状態で撞けてました。だいぶ余裕があったんだと思います、気持ち的に」
――ブレイクも良かったのでは?
「いや、ブレイクはまあまあ程度。テーブルによってボールの動きがバラバラだったし、ボール自体の状態も結構バラバラだったので。なんとなく『このぐらいでこう打っといたら良くなりそう』っていうパターンは見えてたけど、最後まで『これだ!』っていう確信はなく。だから、配置を作るまでは行かなかったですね。決勝戦もそうだったでしょ。取り出しは確保出来てた(=ブレイクイン直後、1番など台上の最小番号のボールのシュートコースはあった)けど、配置は難しかった。まあでも、取り出しがどうにか確保出来てたら、そんなに外れる気もしなかったので、ブレイクはいじらずそのまま行こうと」
――『CBSAツアー』の会場の雰囲気やスケールは『チャイナオープン』に近いのでしょうか?
「ほとんど一緒です。規模も一緒だし、メンバーのレベルもだいたい一緒だと僕は思ってます。欧米選手の数はチャイナオープンに比べると少ないけど、その代わり、台湾と中国の選手があれだけたくさんいると相当キツイです。個がキツイというより全体がキツイですね。現地の人曰く、CBSAツアーの方がチャイナオープンより価値が高いというか、ポイントが大きいっていうような話もしてました。詳しいことは全くわからないんだけど」
――プロ入り13年目で初の海外タイトルです。
「『13年もかかったか』という感じです。予定ではプロ入り前に一つ勝ってるはずだったからね(笑)。アマチュアで『世界選手権』のステージ1を通過した時(2005年)に『いける!』と感じた瞬間があって、『俺は世界チャンピオンになれる』と思って頑張ってきた。そこから13年もかかるとは……。やっぱりここまでかなり険しい道でしたね」
――勝つ前と後とでは世界の見え方は変わってくるものでしょうか。
「今は『やっとこれで入り口に立てたかな』という感覚です。ワールドトップ達が戦ってる世界のね。まだ全然下の方ですけど、周りからの見られ方もちょっとは変わると思うし、それ以上に自分から見る世界というか、自分の捉え方が大きく違ってくると思う。やっとこれで次からトップ達と肩を並べて撞ける感覚になるんじゃないですか」
――そう自分で思えるようになったことが大事だと。
「そうです。正直、周りからの評価はどうでも良いじゃないですか。もちろん最終的には評価してもらいたいと思ってやってるんですけど、まず自分がどう思えるかなんで。今やっと、世界の入り口に自分が立てたような気がする。だから、ここからなんですけどね」
――国内の『全日本選手権』や『ジャパンオープン』というビッグトーナメントでは準優勝続きでした。
「今回はなんでか知らないけど、勝てる気がしてたんですよね。北京に行く前から……いや、それこそ上海(『チャイナオープン』)に行く前から、青木(亮二)プロに何度も言われてて。『いいことあるよ』『優勝あるよ』って。自分でも優勝のチャンスが以前より増えてきている実感があったのは間違いないですけど、そういうことが重なり合って、肩に力が入らず、楽な気持ちのままいられたのかもしれないですね。最近は自分でも意図的にその辺りの心構え的なものをちょっと変えてました。そのおかげか、少なくとも今回は『負けたらどうしよう』というふうに思うことはなかったかな。今までにそういう種類のプレッシャーを自分にかけて負けたことがあるのもわかってたんで。いや、もうだいぶ負けたんでね(笑)」
――昨年の『USオープン』(5-6位。10月)で「『勝てる』っていう感覚まで行った」と語っていました。あのUSオープンで自信を深めたことも今回の勝利に繋がっていますか?
「もちろん、絶対ありますね。今回、僕自身の出来はUSオープンの時と同じぐらい良かったと思う。そこにキューとの信頼関係が加わって、単純にシュート能力で言ったらあの時を越えてたんじゃないかなと思います。そして、メンタルも整っていたから勝てたということかもしれないですね」
――次、目指すものとは?
「もちろん次の海外戦、10月の『USインターナショナルオープン』です。さっきもホテルの部屋でうとうとしながら、『9オンフットのブレイクってどうやるんだったっけな……』とか考えてました(笑)」
――喜びにひたる間もなく、すぐに次の試合という感じですね。
「いや、ひたりたかったですよ、ひたれるなら(笑)。でも、今回は色々あって試合後は忙しかったし、お祝いムードゼロ。トロフィーも掲げず、ガッツポーズもせず、打ち上げもない。……日本から一人で来てさ、一人で撞いてさ、一人で優勝してさ、表彰式で自分の写真は撮れないしさ……そりゃ皆がいる時に勝った方が嬉しいに決まってるじゃんねぇ(笑)。ちょっと焦りましたよ。これじゃ日本の人達に見せる写真もないじゃんって(笑)。だから、この表彰写真は知らない人に自分の携帯渡して撮ってもらったんですよ。つまりまあ、『ここがゴールじゃないよ』っていうことなんでしょう。また次、頑張ります」
(了)