出典(Original Interview):Propool, Russia, 2015
日本語訳(Translation)と写真(Photo):BD
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2016年1月現在32歳。
USオープン4勝(※2016年10月に5勝目)。
ワールドプールマスターズ2勝。
押しも押されもせぬアメリカのエースとして
今も世界中を飛び回っている
シェーン・バンボーニング。
そのボーニングは2015年秋、
『全日本選手権』のために来日し、
3位入賞を果たしたが、
その前にはロシアで開催された
『クレムリンカップ』に参戦していた。
その会期中、ロシアのビリヤードサイト、
『Propool』がロングインタビューを敢行。
その日本語訳をお届けする。
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Shane Van Boening
1983年7月24日生
アメリカ・サウスダコタ州出身
2007、2012、2013、2014『USオープン』優勝
2008『ワールドカップオブプール』優勝(R・モリスとペア)
2011、2012『ダービーシティクラシック』オールアラウンドチャンピオン
2014、2015『ワールドプールマスターズ』優勝
2015『チャレンジオブチャンピオンズ』優勝
他、10ボール、8ボール、ワンポケットのUSオープン獲得
(聞き手:ロシア「プロプール」)
――ロシアへようこそ。10年前、あなたはアマタイトルはありましたが、まだ無名の存在でした。プロになったきっかけは?
「高校を出てから1年間大学に行き、その時にプレイヤーでやっていこうと決めたんだ。国中をマネーマッチで回っていたよ。
22~23歳の頃に『IPT』(2006年。高額賞金が売りだった『International Pool Tour』のこと。実質2年で消滅)に出て、そこからさらに遠征を重ねた。
そして、2007年に初のメジャータイトル、『USオープン』を獲り、『リノオープン』でも勝ち、他にもたくさん優勝した。それ以降、世界を巡るようになったんだ」
――あなたはビリヤード一家に生まれ育ちました。特におじいさまの影響が大きいとか。
「祖父がサウスダコタにビリヤード場を持っていたんで、週3~4回は行ってたね。アマチュアのリーグ戦に参加したのがキャリアの最初だ」
――本気になったのは?
「13~14歳の頃かな。ある日テレビを観てたらビリヤードが映ったんだ。E・ストリックランドとF・ブスタマンテの試合だった。それを観た時に『僕がやりたいのはこれだ』って思った」
――お母様とおば様もプレイヤーですよね。
「そう、2人は州のチャンピオンでね。プレーする姿を小さい頃から見ていたよ。祖父も含めて家族でチーム戦に参加していて、ラスベガスで優勝したこともある。うちの一家は父さん以外みんなプレーするんだ。
ビリヤードのことで祖父がヒントをくれることもあったけど、僕はほとんど全てを独学で学んだよ。祖父はプロ選手をたくさん知っていたし、彼らがチャンピオンになっていく過程も見ていた。だから、道を示してくれたって感じだね」
――そもそもビリヤードの何が良かったんですか?
「競技スポーツだということ。そして、大会は世界中で行われているから常に旅をすることになる。個人的にはビリヤードをすることで様々な人との出会いがあるというところが一番好きなんだ」
――もしビリヤードに出会ってなかったら?
「大学に通ってただろうね。動物や魚類とか生物にまつわる仕事をやってたんじゃないかな。生物が好きだから」
――ビリヤード以外の趣味は?
「釣り、狩猟、ゴルフ。つまり、アウトドア派ってこと(笑)。こういう生活になってから狩りには行ってないけどね。ゴルフのハンディキャップは7か8ぐらい。ちなみに、J・シュミット(アメリカの14-1の名手)は2か3だよ。他に最近はバスケやテニスを観るのが好きだね」
――若い頃のビリヤードのアイドルは?
「ブスタマンテだ」
――最も力が入る対戦相手とは?
「E・レイズやストリックランドとは何度もプレーしたことがあって、いつも良い試合になる。今だと、若いプレイヤーとやるのが楽しいね。最近はヨーロッパの若い選手が良いし」
――あなたと誰の試合が最もギャラリーを集めるんでしょうか?
「たぶんアメリカ人同士だろうね。僕とストリックランドとか。彼は本当に有名だから。それかレイズだね」
――最もキツイ相手とは?
「今でもブスタマンテ。僕にとっては彼が一番」
――柯乗逸(台湾)とか別の人かと思ってました。
「ああ、そうだね。僕は彼に2回、大きな試合の決勝戦で負けてるしね」
――あなたみたいな選手になるには?
「ハードワークが必須。一日8、9……いや、10時間は練習に専念しなきゃ。そして、ジムに行ったり、コンディションを整えて大会に備えることが大事。かなり労力がいることだと思う」
――今も以前と変わらない練習量を?
「いや、そこまではやってない。この10年で本当にたくさん撞いてきたから。人生はビリヤードだけじゃないしね。今は大会前だと3、4時間かな。テーブルコンディションに慣れるための練習だね」
――ツキがない時はどう対処していますか?
「ポジティブでいること。ボールが思うように動いてくれない時もあるけれど、そういうゲームだからどうしようもないよ。ツキがないからって世界が終わるわけじゃない」
――最初のマイキューは?
「メウチだった。それから、ジョスウエスト、ショーンときて、今はキューテックと契約している。初めてUSオープンで優勝した翌年(2008年)にキューテックから話をもらったんだ。その年の終わりにサインした」
――キューテックのキューに慣れるのに時間は掛かりましたか?
「2日ぐらいじゃないかな。狙い方をちょっと調整したぐらい」
――シャフトは修正・変更してないんですか? ハイテクを使うとか。それとも完全にノーマル?
「壁にあったキューをそのまま取って使ってるよ」
――グローブはいつから使ってますか?
「2、3年前から。天候や湿度に左右されにくくて良いね。キューが滑るかどうか心配する必要がない」
――キュー尻のエクステンションは?
「これを付けて撞くのは快適だよ。最初に使い始めたのはストリックランドだ。彼はとてもビリヤードに献身的でスマートなプレイヤーの一人だね」
――木のトライアングルラックを使う試合では、ブレイク前に注意深くラックされたボールを見ていますが、あれは何を見ているんですか?
「練習で数えきれないほど自分でラックを組んできた。だから、ボールの動き方のパターンはある程度わかっている。ポケットに向かうかどうかもね。ラックからたくさんのことを学んだよ。
レフェリーラックのトライアングルラックの試合なら、僕はラックを読もうとするし、どこからブレイクすべきか判断がつく。ショットスピードや手球の位置など考えることはたくさんあるよ」
――あなたは世界有数の「バーテーブル」(7フィートテーブル。アメリカではプロもアマも公式戦が無数にある)の名手でもあります。9フィート台(日本でよく見るテーブルサイズ)とは違いますか?
「大きく違う。バーテーブルでのプレーがよくわからなくて、敬遠しているプロプレイヤーをたくさん見てきた。バーテーブルではとにかく慎重にプレーしなくちゃいけないんだ。9フィート台なら手球を動かせるスペースは広いけど、バーテーブルはそうじゃないから」
――そしてあなたは10フィート台の経験もある。
「数年前からやるようになったけど、あれは背が高い人向けかな(笑)。例えば、フィリピン選手とか身長が高くない人には合わないテーブルだと思う。そして9フィート台とは別物だね」
――10フィート初体験の試合がストリックランドとのロングマッチで、彼の独壇場でしたね。
「彼は何年も10フィート台で撞いた経験があり、僕は試合前に1回やっただけだった。知識が違いすぎるよね」
――今回の『クレムリンカップ』でも使われている「ダイナミックテーブル」は好きじゃないと聞きました。
「ダイナミックテーブルではもう7年はプレーしてないから今のものはよくわからないけど、ポケットが新しくなったんだよね? 以前気になったのはポケットサイズなんだ。アメリカのより大きかったんだけど、僕はタイトなポケットが好きだから」
――あなたが一番好きなテーブルは?
「ダイヤモンド。コンディションがいつでも一定だ。トップクオリティだと思うよ」
――世界トップクラスになった今のあなたの原動力とは?
「成し遂げたいことがいくつかある。そしてあと数年で引退するかも(笑)……まあ、あと5年はやるだろうね。経済的な目標もいくつか達成したいと思っている」
――普段、決まった練習メニューがあるんですか?
「だいたいロングショットを撞くことが多いね。セットしてただ入れるだけ。試合前は数時間それをやる。家にいる時は6~8時間ぐらいほとんど難球の練習ばかりしているよ。大会準備期間に入ると十分な時間が取れないけど」
――最も大事だと思う基礎技術は?
「グリップとブリッジ。その2つがダメだと勝てないよ」
――あなたの技術的な弱点は?
「土手撞きかな。特にロングショットの土手撞き」
――強みは?
「ブレイクショットだろうね。それと手球コントロールも」
――ジャンプショットについてはどう思いますか?
「ジャンプキューはなくなってほしいね。あれはアマチュアのためのものだよ」
――なぜあなたはあんなに早くワンポケットを習得できたんですか?
「アメリカではワンポケットをプレーする人が多いから、たくさん試合を見て学んだよ。そして、大きな勝負も含めてたくさん実戦を経験したから、どんどん良くなったんだと思う」
――14-1(ストレートプール)はどうですか? 今年(2015年)300オーバーのランを出したと聞きました。
「305点が出たよ。しっかり学ぼうと決意してから、深く理解できるようになったんだ。ワンポケットと同じで、人に教わることはなく、上手い人がどうやってブレイクして、どうキーボールを決めているのか見て学んだんだ。やり方がわかればランは出る(笑)」
――あなたが思う、今最も優れた14-1プレイヤーは?
「D・アプルトン(イングランド)。14-1では強敵だ。それとT・ホーマン(ドイツ)はこの種目をより深く知っている」
――もしウィリー・モスコーニ(アメリカ。故人)が持つハイラン記録(526点)の更新に大金がかかっていたとしたら、トライしますか?
「うん。新記録を出せると思うよ。一年中14-1漬けの人ならきっと更新できると思う。でも、現実は14-1の試合は皆無に等しいから、真剣にやろうという人がいないよね」
――もしプールの世界に一つしか世界選手権がないとしたら、どんな種目でどんなフォーマットが理想ですか?
「ダイヤモンドテーブルでやる10ボールがいい。ダブルイリミネーションで勝者ブレイクで15ラック先取。今の試合は短すぎると思う。何が起こってもおかしくないし、運の要素が強いよ」
――あなたはアメリカ国外で結果が出ない時期がありました。海外の試合ではどんなことが障害になっていたんですか?
「いつも睡眠が問題になっていた。時差があって、環境が違って……上手く眠れなかった。食べ物はたいして問題じゃない。遠征を重ねるプレイヤーにとってネックになるのは時差に身体をならすことだと思う」
――最も大きなマネーマッチは?
「3年前(2012年)、ダービーシティクラシックの時にレイズとやった10ボールの23ラック先取マッチ。僕が勝った」
――一番高額だったマネーマッチは?
「5万ドル。それも10ボールだった」
――普段、自己資金でやってるんですか?
「この3、4年はいつもそうしているよ。大きなマネーマッチの時は、ビリヤード好きの親友のJ・マーズという人物がバックアップしてくれることがあるけどね」
――初めてのマネーマッチは?
「16歳の時、サウスダコタに来たロードプレイヤーと。僕が200ドル勝った」
――フィリピン選手たちはマネーマッチに強いと言われていますが、彼らとやる時、自分が"勝ち目"だと思っていますか?
「高い確率で。フィリピン中を回ったことがあるし、たいていのフィリピン選手とは勝負したよ。そして、勝ち越している」
――最も心に残るタイトルとその理由は?
「今年(2015年)の『チャレンジオブチャンピオンズ』だ。さっき『テレビでストリックランドとブスタマンテの試合を観て夢中になった』と言ったよね。それがこの試合だったんだ。18年前に観た試合が今も変わらずあって、自分がそこで勝てたというのが心に刻まれている理由だよ」
――アメリカンプールの未来はどうなると思いますか?
「たくさんの変化が起きるだろうね。今、プールをプレーすることで生計を立てるのはとても難しい」
――アメリカに将来有望な若手はいますか?
「何人か頭角を現し始めているよ。どんどん強くなっている」
――最もタフな試合とは?
「USオープンは本当に勝つのが難しい。それとダービーシティクラシックも。特にダービーシティクラシックで"オールアラウンド"タイトル(総合優勝)を獲ろうと思ったら、バンクプールやワンポケットでも良い成績を出さないといけないから厳しいよ」
――モスコーニカップについてはどう思いますか?
「僕にとってモスコーニカップは別格のもの。素晴らしいチーム戦だよ。そして、プールの世界を良くすることができる可能性を秘めたたった一つのイベントじゃないかな」
――ひと昔前、モスコーニカップではアメリカがヨーロッパに勝ち続けていました。しかし、近年逆の現象が起きている。なぜだと思いますか?
「アメリカ国内の競技プレイヤー数の減少が大きく関係していると思う。大会が減り、試合勘が養いにくくなっている。今ならヨーロッパの方がプロの試合は多いし、そこでプレーしている選手が多い」
――今年(2015年)のモスコーニカップはどうなると思いますか?(※結果はヨーロッパの勝ちだった)
「アメリカの全員がハードワークを厭わなければ勝つチャンスはあると思う。アメリカの勝利を願っているし、僕は仲間をサポートするつもりでいるけど、まずは全員が献身的にプレーする必要があるね」
(了)