2003年のジャパンオープン男子
チャンピオン、
西嶋大策(当時アマ・現JPBAプロ)は、
今年のジャパンオープン最終日、
実にあれ以来10年ぶりに
『ニューピアホール』に足を踏み入れた。
観戦者として。応援する側として。
「来てみたら
『こんなに狭かったんだっけ?』って。
ちゃんと予選を通らない限り
『絶対にここには来ない』って
決めてたんですけどね」
その誓いを今回破ったのは、
親交の深い九州の北谷英貴(JPBA)が、
最終日まで残ったから。
しかし、北谷は朝イチの緒戦で敗れた。
西嶋はそれから土方隼斗の応援をしていた。
この両名も10年ぐらいの交友関係にある。
西嶋のそばにいる時の
土方はいつもリラックスしている。
年の離れた兄弟のような、
そんな感覚が近いかもしれない。
西嶋は土方のファイナルを観ながら、
僕に向かって、
「不思議ですねぇ」としみじみ漏らした。
「あれだけニューピアには
観に来ないって決めてて、
でも、10年ぶりに来てみたら、
この10年日本人が誰も勝ってなかったのに
隼斗が勝つんですよ」
それは午後5時51分。
土方が8点目を入れた頃。
勝利まではまだあと1点必要だ。
でも、西嶋の中で
すでに土方は勝っているかのようだった。
…………
写真を撮りながら会場内を
歩いていたら、
暗がりからニュッと逞しい腕が現れて、
僕の肩を掴んだ。
「小林くん、
隼斗の胴上げは表彰式の後だからね」
銘苅朝樹(JPBA)だった。
土方は14歳の頃、CUE'S誌の連載企画、
『虎の穴』でレッスンを受けていた。
その「虎の穴主」、つまり先生が銘苅だ。
その後も二人は交流を絶やしていない。
この銘苅こそ、
3月の『関西オープン』のベスト16が終わった段階で、
「もう東京に戻るから先に言っておくよ。
今日は隼斗が勝つよ」と
土方本人に言い残し、
見事に的中させた人物でもある。
そして、
思えば2003年、
西嶋大策がこのジャパンオープンで
優勝した時に胴上げ隊を組織したのも
銘苅のはずだ。
も、もう隼斗プロの胴上げの話ですか?
と思ったけど、
「……あ、わかりました」とだけ
僕は返しておいた。
それは午後5時30分。
土方が6点目をマスワリで入れた頃。
試合はまだ中盤。
でも、銘苅の中で
すでに土方は勝っているかのようだった。
…………
2003年3月。
14歳になったばかりの土方隼斗は、
ニューピアホールを訪れて、
西嶋大策の圧巻のプレーを、
堂々とした勝利の様を、
そして胴上げを見ている。
でも、その記憶はほとんどない。
「西嶋さん、すげーくらいしか
思ってなかったはずです」
果たして自分もこうなりたい、と
土方少年はその時思っただろうか。
10年経った今、土方はその
「すげー人」になり、宙を舞った。
それは2013年7月15日午後6時27分。
※「それは午後6時15分」