〈BD〉1980年・サンフランシスコにて

 

約34年前の写真です。

 

写っているのはビリヤードのトップ選手2名。

さて、誰でしょう?

 

ビリヤード歴が長い方でも、

右側の白人男性はすぐにはわからないかも。

 

…………

 

この写真は、

ホワイトハウスビリヤード』(神奈川)

でお借りしました。

 

そう、「ミスター」のお店です。

 

そんなヒントがあってもなくても、

 

写真左の若い東洋人は、

ビリヤード好きな方ならすぐわかるでしょう。

 

1994年のナインボール世界チャンピオンであり、

不世出の名手と評される

 

「ミスターポケットビリヤード」

奥村健プロ、その人です。

 

現在は、スリークッションのプロとして

活躍しています(※2008年にJPBF入会)。

 

…………

 

「ああ、覚えてるよ。

これは1980年のサンフランシスコだね。

 

僕が初めてアメリカに行った時だ。懐かしいな」

 

1980年というと当時奥村プロは28歳。

 

プロ転向(1978年)して数年経ち、

全日本選手権4連覇(1979年~1982年)を

達成することになる、まさに昇竜の勢いの頃です。

 

「藤間さんとご一緒させてもらって

遠征したんだよね」

 

藤間さんとは、藤間一男氏のこと。

「日本ポケットビリヤード界の父」

とも呼ばれる存在で、

 

85歳の今なおコーチや

トーナメントディレクターとして

世界中で活躍しています。

 

「そして、初めて会ったんだよ、

バディー・ホールに(写真右側)。

 

今からだと信じられないぐらい

スリムでしょう?(笑)」

 

こ、これがあのホールですか!(驚)

 

この20年ぐらいでビリヤードを始めた人は

きっとでっぷり太ってる彼の姿しか

知らないでしょう。

 

「ライフルマン」の異名を取る

アメリカンプールのトップスター。

 

この写真の頃はまだ35歳。

こんなに痩せてたんですね。

 

奥村プロは彼とどんな話をしたのでしょうか。

 

「質問されたんだよね。

 

『キミは普段どのぐらい練習してるんだ?』

って。

 

当時の僕は一人でやる練習というのは

6~7時間だったかな。

 

でも、ちょっと謙遜して

『4時間』って答えたんですよ。

 

そうしたら、

 

『それは短いね。

8時間はやらなきゃダメだよ!』

 

って言われちゃってね(笑)。

 

そのやり取りは今でもよく覚えてる」

 

陽光差し込むダイニングカフェの

ボックス席で、

 

日米の若きトップ選手が

ビリヤード談義に興じた和やかな一時。

 

ホールの左ヒジの辺りに

無造作に立て掛けられているのは、

1B1Sのキューケースでしょうか。

 

ブレイク専用キューがまだない時代です。

 

ホールの友人が撮ったという

この一葉の写真は、

 

太平洋を越えて邂逅した2人の、

ビリヤードを介した連帯感のようなものと、

 

1980年代アメリカ西海岸の空気感とを

鮮明に伝えてくれているような気がします。

 

 

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