〈BD〉スヌーカーは7回採用されていた! パラリンピックの話

 

一昨日のエントリ、

「ビリヤード、東京オリンピックへ名乗り」


に関連して、

色々と調べ物をしているところです。


NBA(日本ビリヤード協会)の談話も

もらえましたので近日公開します。


先回りして少しだけここに記しますと、


「間もなくJOC(日本オリンピック委員会)に

WCBS(世界ビリヤードスポーツ連合)からの

『調書』を提出し、受理されたところで、

 

やっと活動のスタートラインに立ちます。

その先の道は険しいですが最善を尽くします」


とのこと。


さて、調べ物をしている過程で、

不勉強のそしりを免れない事態が起きました。


実は、昔、『パラリンピックでは、

 

スヌーカーが7回採用されていたことが

わかったのです。


全く知りませんでした……。

 

パラリンピックはご存知の通り、

世界最高峰の障害者スポーツ大会で、

オリンピックと同じ年に同じ場所で開催されます。


 

ビリヤードという競技は大きく言うと、

 

ポケットビリヤード(プールとも)

キャロムビリヤード

スヌーカー

 

の3つの種目に分かれますが、

 

この中のスヌーカーだけが

パラリンピックに採用されていました

(車椅子スヌーカーとして)。


パラリンピックの第1回大会である

1960年のローマ大会以降、

5回連続で採用され、


1980年大会では採用されませんでしたが、

また1984年、1988年と種目になりました。


その後は今に至るまで採用されていません。


↓こんな感じです。


①1960年/第1回/ローマ

4名参加


②1964年/第2回/東京

4名参加


③1968年/第3回/テルアビブ

8名参加


④1972年/第4回/ハイデルベルク

8名参加


⑤1976年/第5回/トロント

18名参加


⑥1984年/第7回/ニューヨーク・アイレスベリー

6名参加


⑦1988年/第8回/ソウル

12名参加


…………


メダリストは、やはりというべきか、

「スヌーカーの母国」イングランド勢が

多いです。


東京大会からハイデルベルク大会にかけて、

M・シェルトンという選手が

3連覇していたようなんですが、


画像や詳しいバイオグラフィーなどは

発見できませんでした。


1992年のバルセロナ大会から

採用されなくなってしまった理由もわかりません。


パラリンピック……というより、

その前身のストーク・マンデビル競技大会は、


そもそもリハビリテーションや

福祉的な意味合いで始まった大会ですが、


今のパラリンピックは参加国・地域・人数も増え、

かなり競技性が高まり、商業的にも成功しています

(ロンドン大会で164ヶ国・4310人)。


パラリンピックはIOCとは全く別組織の

国際パラリンピック委員会(IPC)の主催なので、

オリンピックとは別管轄ですが、

 

IOCとIPCの間には協定も結ばれいて

 

連携関係にあります。

 

NBAはパラリンピックのことも意識して

東京オリンピック追加種目化運動を

行っていく予定とのことです。

 

2020年東京オリンピックの後に行われる

パラリンピックで、スヌーカーの

「復活」がないとは言えません。

 

…………

 

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