〈BD〉今週の『関西オープン』でデビュー。ルーキープロ、稲見厚史に聞いてみた

Atsushi Inami, JPBA 50th class
Atsushi Inami, JPBA 50th class

 

間もなく『関西オープン』

JPBAの2016年シーズンが始まります。

 

そこがデビュー戦となるのが、

JPBA50期生のプロたち。

 

全員が出場するかはわかりませんが、

50期生は現在9名いて、

男子8名女子1名。

 

20代~50代まで年齢層はバラバラで、

拠点も東北から九州までバラバラです。

 

その50期生の中に、

 

「プロになるために上京し、

プロテストに過去2度落ちたが、

3度目で無事に受かった」

 

という球バカなプロがいます。

 

稲見厚史(いなみあつし)プロです。

 

これまでアマ公式戦の試合会場で

幾度か姿を見かけていましたが、

そこまでの情熱を

秘めていたとは知りませんでした。

 

興味津々で話を聞かせていただきました。

 

…………

 

Atsushi Inami

 

生年月日:1982年6月10日(※取材時33歳)

JPBA50期生 

出身&在住:青森県出身/東京都在住

所属店:錦糸町ルパン

使用キュー:EXCEED(タップはモーリ「マラカイト」を使用)

ビリヤード歴:12年

アマタイトル:特に無し(2014年『アマナイン』3位)

 

…………

 

 

――いよいよデビュー戦が始まりますね。

そもそも稲見さんがそこまで強く

プロを志していたこと、知らなかったです。

 

「はい、僕はずっとプロ志望でした。

 

21歳から今までずっと球撞きばっかりです。

毎日毎日、仕事・球・酒みたいな(笑)」

 

――ビリヤードとの出会いは?

 

「21歳の時、青森で友達と一緒に遊びで。

なんとなく面白いなぁぐらいでした。

 

その後、近所にビリヤード場

(『ダンデライオン』)ができて、

ビギナー戦が開催されたんですね。

 

僕、そこで優勝しちゃいまして、

賞品でキューをもらったんです。

それからどっぷりのめりこみました」

 

――その頃は学生でしたか? 社会人?

 

「働いてました。IT系の仕事です。

毎日仕事が終わってから深夜まで

撞いてました」

 

――上京は何歳の時でしたか?

そしてそれは本当にプロになるために?

 

「26歳です。本当です。

『俺、プロになります』って

周りに言って出てきました。

 

その前から、

津堅翔プロが青森に度々来ることがあって、

話をする機会があったんですが、

 

彼から『ルパン』(錦糸町)の

評判を聞いてたので、

『東京に行くなら、そこだ』と。

 

プロも多いですし、面白そうだな、と。

(※菊嶋淳史、木村真紀が所属する他、

栗林達・美幸夫妻も訪れる)

 

仕事も辞めて、お金もなにもなく、

ただキューだけ持って上京しました(笑)」

 

――その頃の腕は?

 

「普通のA級だったと思いますね。

青森県の連盟(APBA)に

1年だけいたことがあって、

その時のランキングは2位ぐらいだったと思います」

 

――こっちで仕事は?

 

「ビリヤードとは関係ないアルバイトをして、

『ビッグボックス』(高田馬場。※閉店)にも

入らせてもらって。

 

その後、IT関連の会社に入りました。

今もそこで働いてます」

 

――上京してからこの7年の生活は?

 

「本当はすぐにでも球屋で働きながら

プロになりたいなって思ってたんですけど、

実際に上京してみたら、

そのやり方だと色々と厳しそうだなと。

 

それで始めはバイトでしたけど、

別の仕事をしながらプロ活動をするっていう

スタイルで行こうと決めました。

 

平日は普通に仕事して、終わったら練習して、

週末に試合に出てってやり方ですね」

 

――初めてのプロテストは?

 

「3年ぐらい前だから……29歳だったと思います

(※その時の関東試験会場は

『メイプルハウス』〈駒沢〉)。

 

あの時は落ちて凹みましたね~(笑)。

 

(実技試験の)ボウラードは

3ゲームの合計で630点が合格点なんですけど、

 

630点に届かないことがわかった時点で

打ち切りになるんですよ。

 

僕は、3ゲーム目の1フレーム目ぐらいで、

『もう届きません』ってことになって、

それでおしまいでした」

 

――ボウラードは普段やらないでしょうし、

侮っていたとか?

 

「はい、正直言えばそうです。

なめてたところがあります(苦笑)。

 

言い訳になりますが、体調も悪かったですし、

ボールやテーブルコンディションも

慣れていたものとはかなり違って

全然思ったように撞けなかったです。

 

で、落ちて、

信じられないぐらい凹みました(笑)」

 

――そして、また受けたんですよね?

 

「はい、半年後に。今度はすごく準備して。

 

(※プロテストは1年に2回、

各支部で行われている)

 

1ゲーム目はまあまあの点が取れたんですが、

2ゲーム目の途中でスキッドか何かをしちゃって。

 

もう恐怖です。

そこからボロボロになって、

150~160点ぐらいを出しちゃいました。

 

それでまた、3ゲーム目の

1、2フレーム目あたりで終了……(苦笑)。

 

凹みました(笑)」

 

――同じパターンでしたか。

 

「2回目だったし、周囲も応援してくれてたので、

そういう人たちに合わせる顔がなかったです。

 

でも、2回落ちても

全然プロ入りの意思は変わらなかったので、

今回(2015年12月)も受けたという感じです」

 

――上京以来約7年、一度もプロ入りを諦めたり

迷ったりしたことがないんですか。

 

「はい、全く。僕は諦めないことと

ポジティブ思考だけが取り柄ですから(笑)。

 

とにかく球が好きですし、

球ばっかりやってますし、

『絶対プロになる』という意識は

変わらなかったです」

 

――2度目の受検から2、3年空いたのは?

 

「特別な理由はないですけど、

単純に『ヘタだな~』って思ってたので、

技術的に向上していこうっていう意識のもと

練習に励んでいた感じです。

 

プロ志望だということは

以前から周りの人に宣言してあるので、

人に会うと聞かれることが多いんです。

『今年は受けるの?』って。

 

そうやって気にかけてもらえるのも

ありがたいことですし、

逆にみんなに後押しされる形で

『今年受けよう』って気にさせてもらった

というところもありますね」

 

――そして、三度目の正直で合格

(実技〈ボウラード3ゲーム〉739点)。

 

「今回が一番不安でした。

 

でも、たまたま今回は受検者が多くて、

会場が『ロサ』(東京)さんだったんですよ。

 

僕にとってはラッキーでした、

テーブルコンディション的に。

 

1ゲーム目で250点ぐらい出ましたし、

2ゲーム目もスコア的に余裕があったので

『これなら行けるかな』とは思ってましたけど、

心境的にはギリギリでした。

常に怖がって撞いてましたね。

 

もう全部イレイチするぐらいの感じで、

一球も油断することなくやってました。

 

だから、受かった時は

ホッとしましたし、とにかく疲れました」

 

――ルーキーイヤーの今年、

全ての試合に出る予定ですか?

 

「はい、そのつもりです。

ただ、全日本選手権だけはまだわかりません。

 

あれは期間が長いので、

仕事の方が調整できれば出るという感じです」

 

――デビュー戦は今週の『関西オープン』。

 

「ワクワクしてます。

怖さも相当ありますけど、楽しみですね」

 

――この先、どんなプロになっていきたいですか?

 

「ファンの人、観てくれる人がいての

プロスポーツなので、

そういう方々に楽しんでもらえるような

プレイヤーになりたいですね。

 

僕は本当に周りの人たちに恵まれていて、

これまでも応援してもらってますし、

プロに受かってお祝いもしてもらってます。

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そういう方々に恩を返すとなると、

まずは活躍する姿を見てもらうことに

なるのかなと思います。

 

まだ全然何も成し遂げてないし、

ようやくスタートラインに立ったところですが、

なるべく早く良い成績を出せるように

頑張ります!」

 

(了)

 

…………

 

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