オレの名は、K。探偵屋だ。
だから皆オレのことをDetective "K"と呼んでいる。
ビリヤードの道具、キューの調査なら任せてくれ。
しかし、もはやBDで仕事はない。
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~前回までの流れ~
「これまでご苦労さまでした。
仕事の依頼はここまでです。」
がびーん!
キュー探偵K、これにてジ・エンド!?
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どうやらオレの運も尽きたようだ……。
これまでしのいできた、BDからの無茶な依頼が
走馬灯のように頭のなかを巡っている。
事務所をたたみ、キューケースをたたみ、
旅に出るぜ。
「ナニをぶつぶつ言っているんですか?
これから新しい仕事ですよ。」
クビ……じゃない?
「クビなんて言いましたか?」
そうか! 新しい仕事かっ!
もう探偵Kはヤメだな! ヤメヤメッ!
では、新シリーズ
「Kの艶っぽい玉竿夜話」を始めるぜ!
ワクワク……。
「そんなコラム頼むわけないでしょう!
早とちりしないでください。」
ということは?
「キュー探偵K、今回からシーズン3開始です。」
なるほど! 新たなシーズンの開始か。
「そうです。
今回は特別に、調査内容はフリーとします。」
そいつはありがたい。
では、「夜の黒光りカスタムキュー」を……、
「ダ・メ・です!」
わかった、わかった。
それでは
「伝説のアイディアマン、ビル・ストラウド」を
調査テーマとしよう。
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キューメーカー、
Josswest(ジョスウェスト)が
製作を止めて、かれこれ7年近く経つ。
1972年から2011年まで製作された
ジョスウェストは、今なお高い評価を保っている。
しかし作者、Bill Stroud(ビル・ストラウド)は、
現在消息すらつかめていない。
アメリカのメリーランド州ボルチモアで1968年、
Dan Janes(ダン・ジェーンズ)と共に
ジョスを立ち上げ、
1972年に袂を分かって旗揚げしたのがジョスウェスト、
というストーリーは良く知られている。
しかし、ビル・ストラウドが
キューメイキングの世界で果たした数々の
貢献については、意外と知られていない。
その一部を紹介する。
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★10山ピン
外径8分の3インチ、
長さ1インチ(2.54cm)あたり10個の山を持つネジ。
通称「10山」と呼ばれ、シャフトとバットを繋ぐ
ジョイントピンに使われる。
1969年代末、このネジを開発したのが、ジョスだ。
実はこんな仕様のネジ、工業規格には存在しない。
他メーカーのキューに使われていた、
長さ1インチあたり12個の山を持つネジを見て
パクろう同じものを使おうと思った
ビル・ストラウドとダン・ジェーンズが、
ネジ山を数え間違えたからだ。
その10山ネジが、好評を博した。
アメリカ大手量産メーカー、
マクダモットまで採用したほどだ。
今やメーカー問わず採用される規格。
それがビル・ストラウドのボケから始まった。
ところが、ジョスもジョスウェストも、
早々に10山ピンの使用を止めている。
構造か、部品調達の問題かは不明だが、
理想のネジではなかったのだろう。
その思いは約20年後、後述のユニロックや
ラジアルピンの開発につながってゆく。
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★コンピュータ
キュー製作におけるコンピュータ使用の草分けは、
ビル・ストラウドだ。
「その時代でベストな道具を使うのは当然」と
考えたのだ。
1980年代半ばには、
アップル社のマッキントッシュと、
キュー製作用にカスタマイズした彫刻機を接続し、
インレイ作業に使用している。
当時、キュー製作は
「機械使用=大量生産、手作り=カスタム」と
信じられていた時代。
「パンタグラフマシン」という、
テンプレートを手作業でなぞる彫刻機械の使用すら、
手作業より低く見られていたのだ。
コンピュータの使用なんてもってのほか、
と思われて当然だな。
ところが、手作業が最高と信じる連中からすれば、
コンピュータは理解を超えた存在。
ジョスウェストを軽んじる風潮は生まれなかった。
現在は、生産本数の大小を問わず、
デザイン・機械制御にコンピュータは不可欠。
ビル・ストラウドは時代を先取りしていたというわけだ。
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★ユニロック/ラジアルピン
今やバットとシャフトをつなぐジョイントとして、
幅広く使われているユニロックとラジアルピンにも、
ビル・ストラウドが関わっている。
1990年代初め、
既存のジョイントピンに不満を感じた
精密機械メーカーの社長、ポール・コンスタンが
ビル・ストラウドに協力を求め、
開発されたのがユニロックだ。
さらにその後、シャフト側の雌ネジを
木部に直接彫る構造が持つ弱点を解消した
ラジアルピンも共同で開発している。
当初は少量生産メーカーの高級オプションだった
ユニロック/ラジアルピンは、1990年代末には
量産メーカーも採用し、ごく普通のパーツとなった。
ちなみに、ラジアルピンの普及には、
日本における高評価が一役買ったことも
付け加えておこう。
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★技術指導
ビル・ストラウドは、他メーカーとの交流や
技術指導を積極的に進めていた。
「ユーロウェスト」や、「ユニバーサル」など、
ヨーロッパやアジアのメーカー立ち上げまで
サポートしたほどだ。
その中で、アダム・ジャパンに対する
「日本のメーカーなら、製品名に日本語をつかうべき」
というアドバイスは、記憶に留めるべきだ。
高級キューラインナップ『MUSASHI』、
神代木を使った『JYOMON』、
ブレイクキューの『BENKEI』、
ジャンプキューの『TENGU』など、
その名前と共に海外、特にアジアで高く評価された
(伝説のジャンプキュー『青い空』は例外で、
また別のストーリーがある)。
やがて、アダム・ジャパンに限らず、
日本製のビリヤード用品の多くが、
優れた「メイド・イン・ジャパン」の代名詞として
日本語の製品名を与えられた。
日本の陶磁器をはじめとする美術品にも
深い造詣を持ち、客観的に日本を評価できた
ビル・ストラウドならではの影響だな。
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★ICCS
2002年、キューコレクターが
自らのコレクションを公開する機会を設け、
同時にコレクター同士やメーカーとの交流を図るため
企画したのが、『インターナショナル・キュー・
コレクターズ・ショー』(ICCS)。
それまでは、キューメーカー主体の
展示即売会イベントは開催されていたが、
コレクターを主役に据えた点が画期的だった。
一番の成果は、他のコレクションを目の当たりにした
コレクターの所有欲を強く刺激したところ。
「次回はもっとすごいキューを展示したい」という
欲求から、より高価なモデルが求められるようになった。
同時にそれは、キューメーカー間の競争をあおり、
レベルアップにもつながった。
ビル・ストラウドは2009年までICCSを主催し、
その後はコレクターの有志による運営に引き継がれている。
今日のカスタムキュー市場を形成し、
少なからず影響を与えたってわけだな。
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常に変化を求め、およそ10年ごとに
アメリカ各地を転々とし、キューのデザインや構造を
頻繁に変えてきたビル・ストラウド。
なぜかアメリカのコレクターやキューメーカーは、
彼の功績を称え、
表彰しようなどという動きは見せていない。
これだけの大きな影響を残しているにもかかわらず、だ。
そのウラに、様々な利害関係が絡みあうことによる、
何らかの不都合な真実があると、オレはニラんでいる。
人間関係ってヤツは難しいものだぜ。
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……というわけでSeason3スタートだ。
引き続きよろしくな!
(to be continued…)
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