私の名はDetective K。
ビリヤードキューの調査を引き受ける探偵だ。
通常オレは、
クライアントのBDから依頼を受け調査する。
しかし、先日、オレの情報網に
飛び込んできたのは、キューメーカー、
ジョスウェスト(Josswest)の作者である
ビル・ストラウド(Bill Stroud)逝去の報。
去る3月11日(米国時間)、
癌の合併症により亡くなったとの事。
それ誰? と思う読者は、本連載の
および
を参照願いたい。
Season 3 episode 00の方は、
訃報を受けたBDが数日前に
再掲載をしてくれたので、
すでにご覧になった方もいるだろう。
そこにも記されているように、
ビルがキュー製作を離れてからしばらく経つが、
彼がキューの世界やビリヤード界に
与えた影響は計り知れない。
オレ自身、キュー探偵駆け出しの頃から
ひとかたならぬ世話になった。
そこで、BDからの依頼はないが、
今回はオレの一存で
ビル・ストラウドのキュー哲学を紹介し、
その功績を称えることにしたい。
よいな、BD!
オレの依頼、引き受けてくれ!
*****
ビル・ストラウドは、元々ロード・プレイヤー、
古臭い言い方をすれば、旅回りのハスラーだった。
1960年代、彼はスキーリゾートで有名な
コロラド州アスペンに住み、
冬はスキー関連の仕事、オフシーズンは
ハスラーとして全米を渡り歩いた。
10代の頃から、各地の玉屋で
地元のプレイヤーや、他のハスラーたちとの
勝負に明け暮れていたのだ。
本名を決して明かさず、実力は隠し、
時には農夫やサラリーマンなどに変装して、
相手を油断させる。
それらを含め「勝つ」ための技術を、
真剣勝負の場から学んだという。
*****
1965年、メリーランド州ボルチモアで、
ビリヤード店店長兼プレイヤーの
ダン・ジェーンズと出会ったことが、
ビル・ストラウドの運命を動かす。
意気投合した二人は3年間、
一緒にハスラーとして各地を回ったが、
やがてその生活に嫌気が差し、1968年、
ボルチモアに戻りキューを作り始めた。
ハスラーとして
「良いキューには必ず需要がある」ことは
わかっていたからだ。
ビルとダンは二人のキューのブランド名に、
東洋の言葉で「運」という意味を持つ
“Joss”という単語を選んだ。
「ジョスキュー」の旗揚げだ。
*****
「ジョスキュー」は、
二人の思惑通り大評判となるが、
1972年のある日、ビルはジョスを辞めて
コロラド州アスペンに戻り、
“Joss Cues West”をたった一人で立ち上げる。
ブランド名として広く認知された“Joss”の
名前にはこだわったが、キューは全くの別物。
どのような確執が二人の間にあったのかは
知る由もないが、その後は
全く別々の道を歩むことになった。
ビルはその後も転居を繰り返す。
1974年、オクラホマ州タルサ
1978年、コロラド州コロラドスプリングス
1989年、テキサス州オースチン
(※この際ブランド名を
“Josswest”と一つの単語に変更)
2000年、ニューメキシコ州ルイドーソ・ダウンズ
ビルはやたらに引っ越す理由を
「ただ気分を変えたくなったから」
と言っていたが、
工作機械や、木材のストックを
移転するだけでも相当な労力がかかるもの。
変化を常に求める性格なのか、
イザコザがあったためなのかはわからん。
もしかしたら、一か所に長く留まれない、
根っからの「旅回りハスラー」気質が
抜けなかったのが理由かもしれん。
*****
今回は、追悼の意味を込めて、
ビル・ストラウド自身の
キュー製作哲学を紹介したい。
彼が初来日した1998年夏、
オレがインタビューおよび執筆を行い
『ワールドビリヤードマガジン』No.81
(1998年11月発行 ビリヤードマガジン社)に
掲載された記事から、彼の発言を抜粋する。
なお、当時若気の至りで
テキストがヘンだった箇所は加筆修正した。
*****
――キューをあなたに注文するとき、何を伝えればいいのですか?
ビル・ストラウド(以下BS):まず、注文主が何年ビリヤードをプレーしているか、1週間に何日間プレーするかを尋ねる。それで注文主がプレイヤーなのか、コレクターなのかを判断するんだ。直接会う場合は、注文主が使っているキューを見せてもらう。キューを見れば、どれだけ真剣に撞いているかがわかるからね。コレクターが欲しがるキューと、プレイヤーが欲しがるキューはデザインも予算も違うから、見極める必要があるんだ。もし「自分はコレクターではなくてプレイヤーだ」という人が、あまりプレーしていないとわかったら、他のキューメーカーを勧めて、注文を断ることにしている。私のキューは上級者向けで、初心者では使いこなせないキューだからね。
――現在、自分が作るキューを芸術品と位置づけている若手のキューメーカーがいますが、それをどう思いますか?
BS:私が(プレイヤーから)評価されるのは、長い間キューを作り続けているからだ。本物の職人が作る作品は、長く保存されるべき芸術品として扱われることが時としてあるよね。日本では、濱田庄司という偉大な陶芸家がいて、作品は現在大切に扱われている(筆者注: 民芸品という概念を提唱し、近代益子焼の基礎を築いた。人間国宝。1978年没)。彼が若い頃製作した陶芸品は、その頃芸術品と呼ばれていたかい? 私はそう思わないね。彼の作品が芸術品と呼ばれたのは、一生をかけて陶芸品を作り続けた、その後だ。この時間こそ、(作者以外の)全ての人が彼の作品を芸術品と認める理由だ。キューについても同じ事が言えるんじゃないかな。
――あなたにとってキューの最も重要な要素は?
BS:私はプレイヤーとして上級者だから、最も大切なことはキューの性能だ。玉を撞くときどのような音がするか、プレイヤーが望むポジションに玉をコントロール出来るかということだね。もう一つ大切なのは、その性能をいかに長期間維持できるかだ。そのキューがどのぐらいの期間良い性能を維持できるか、そして信頼できるかということだ。上級者にとって、キューは親友みたいなものだからね。厳しい配置で撞かなければならないとき、性能を信じられるようなキューだ。つまり、Play Better, Design Better, Stay Better. これらがキューにとって大切なことだ。
↑1枚目は2008年『ICCS』、2枚目と3枚目は2006年『ICCS』より
――では、キュー製作はあなたにとって、どのような仕事ですか?
BS:キュー製作は、お金のためじゃないし、名声を得ることでもない。それはあなたがどんな人かという質問と同じだ。キュー製作は私自身だ。1週間のうち7日間、キュー製作のことを考えている。どのように性能を改良するか、デザインを改良するか、品質を改良するかということをね。キュー製作に30年間、ビリヤードのプレーに一生を費やしても、いまだに私は答えの数より、抱いている疑問の数の方が多いんだよ。
――21世紀も近いですが、未来のキューはどうなると思いますか?
BS:キューが現在のような形であり続ける必要は全くないからね。例えば、断面が丸くないキューがあってもいいし、3ピースや4ピースに分割できるキューがあってもいいだろう。エルゴノミクスを考えて、グリップ部分に(握ったときに手にフィットするような)くぼみを持たせることもいいだろう。素材については、すでに色々と研究しているんだ。すでにグラファイトは試している。木材以外の材料は、これから重要になってくるよ。
*****
22年前、現代のキューを予言するような
考えを語っていたことに驚かされるな。
最後に、
ビル・ストラウドが電子メールを送る際、
いつも最後に添えていた言葉を記す。
もしかしたらエピタフ(墓碑銘)として
刻まれているかもしれんな。
'Art is a lie that tells the truth'
――芸術とは、真実を伝える嘘である。
ちなみに元ネタは、パブロ・ピカソが
1923年、友人宛に書いた手紙のようだ。
カスタムキューそのもの、あるいは
キューメーカー/プレイヤーとしての
ビル・ストラウド自身を
的確に表しているとオレは思う。
ビル・ストラウドよ、安らかに。
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