「仕事も趣味もビリヤード」
「ビリヤードだけで生きている」
という人はほんの一握り。
多くの人は一般の職に就き、
余暇にビリヤードを楽しんでいます。
仕事と球、どちらもおろそかにせず、
時間と体力をやりくりする苦労を
多くの人が味わっているでしょう。
でも、中には、仕事にもビリヤードにも
全力投球で、自分の流儀で成果を上げ、
名を知られている人がいます。
そんな熱い撞球人を紹介するインタビュー企画。
第2回にご登場いただくのは、
複数のアマチュアタイトルを持ち、
プロ公式戦のグランプリ『イースト』、
同『ウエスト』それぞれでベストアマ受賞、
プロの『全日本選手権』でもベストアマ受賞など、
優れた実績を残している酒井大輔さんです。
酒井さんは現在ソニーでBtoBビジネスに
携わっており、今年(2020年)4月から、
西日本営業部 統括部長に着任し、
大阪勤務となりました
(※取材は3月中旬に神奈川で行いました)。
BDの酒井さんの印象は以前からずっと
「全身バネみたいな人」。
いつもハツラツとしていて
ビリヤードのスタイルもダイナミック。
巧みなタイムマネジメントで、
仕事・家庭・ビリヤード・他の趣味(テニスなど)の
全てに情熱を傾け楽しんでいる酒井さん。
そのビリヤードライフをお聞きしました。
…………
酒井大輔:Daisuke Sakai
年齢:取材時 39歳 (1981年生まれ)
出身・在住:千葉県・神奈川県(2020年4月1日から大阪府)
職業:会社員。ソニービジネスソリューション株式会社 西日本営業部 統括部長
所属店:『MECCA Kawasaki』(取材時。4月1日以降は未定)
プレーキュー:『HOW ZR-4』(APシャフト。タップは『斬 ハイブリッドマックス』)
主な戦績:
2001年(アマ)『全関東学生9ボール』優勝
2002年(アマ)『全日本学校対抗9ボール』優勝
2006年(プロ)『エイトボールオープン』準優勝
2007年(プロ)『グランプリウエスト第1戦』3位(ベストアマ)
2012年(アマ)『名人戦』A級戦 3位 9段
2013年(プロ)『グランプリイースト』アマ年間MVP
2014年(アマ)『全関東選手権』優勝(2015年&2018年準優勝)
2015年(プロ)『全日本選手権』9位(ベストアマ)
2017年&2019年(プロ)『グランプリイースト第7戦』9位(ベストアマ)
他、関東アマ公式戦を中心に優勝・入賞多数
憧れのプレイヤー:E・レイズ、E・ストリックランド
ビリヤード歴:約20年
ビリヤードを教えてくれた人:今まで関わったプレイヤーの皆さん全て
ビリヤード以外の趣味:テニス、アート、マジック、バスケ観戦
座右の銘:「可能性を信じる」、「芸は身を助ける」
…………
取材協力:MECCA Kawasaki(神奈川県川崎市)
――酒井さんは千葉県ご出身ですね。
酒井大輔(以下、酒):はい、生まれは千葉県市原市で、高校2年の冬に千葉市稲毛区に引っ越しました。
――ビリヤードとの出会いは?
酒:家の近くに『ベストビリヤード』(現在は閉店)というお店があって、引っ越しして間もなく、なぜかわからないですけど、ふら~っと吸い寄せられたんです(笑)。一人で現れた高校生を店長とスタッフさんは面白がってくれて、その日からずっとおおらかに見守ってくれました。競技としてのビリヤードとの出会いはここですね。
――もうすぐ高校3年。受験勉強を始めようかという時期に。
酒:はい、受験勉強をしながらちょいちょい通ってました。「ビリヤードにハマって大学受からなかったらシャレにならんよな……」なんて思いながら(笑)。当時の店長さんからは「これで大学に受かったらブレイクキュー買ってあげるよ」と言われて、うまいこと現役で受かって、ホントにいただいて感激した思い出があります。
――ベストビリヤードはどんなお店でしたか?
酒:テーブルが10台くらいあるお店で、当時は宗田三佳プロと逸崎康成プロ(引退)が所属されていて、レッスンで西尾祐プロも来られて、スタッフにトップアマの石橋(正則)さんがいらして、お客さんも千葉県内のプロやトップアマが集まるお店でした。たまたま初めから相当贅沢な環境に行けたなと思います。
――高校時代はどんなふうに撞いてましたか?
酒:限られた小遣いをやりくりして、撞けるのは1回1時間半くらい。1時間一人練習や常連さんと相撞きをして、あとの30分は曲球(トリックショット)をやってましたね(笑)。マジックをやるのが好きだったので、曲球にも惹きつけられたのかもしれないです。木村義一プロ(故人。日本が世界に誇るトリックショット名人)の曲球のビデオもよく見てました。今でもビリヤードのアート的な要素はすごく好きです。
――プレイヤーとしてハマったきっかけは?
酒:ベストビリヤードに通い始めて2週間くらいの頃だったと思いますが、50人以上集まるそこそこ大きいBC級トーナメントがあって、とりあえず貸しキューで出てみたんですよね。スタッフの方も冗談で誘ってみたら「ホントに出ちゃったよ」という感じだったと思います(笑)。当然すぐ負けちゃったんですけど、『この真剣勝負ってシビれるなぁ。勝てるようになったら面白いだろうなぁ』と感じたのがきっかけと言えると思います。
――大学生になってからは?
酒:ビリヤードの環境にどっぷり漬かりたかったので、バイト先もビリヤード場を選び、稲毛の『ハスラー』(現在は閉店)で2年以上働いて、その後『キャノンボール稲毛』(現在は閉店)で1年ほど働きました。スタッフはプレー代が免除されていたので、勤務時間外は目いっぱい練習して、常連の方々と一緒に撞いて、夜はハウストーナメントを回り、さらに千葉のあちこちの店に出向いて上手な方と撞いてもらってました。日中は大学に行って、授業が終わったら地元に帰って、夜7時頃から翌朝5時までビリヤード、ちょっと寝てからまた大学へ、みたいな生活でしたね。
――A級になったのは?
酒:ビリヤードを始めて2年経つか経たないかの頃だったと思います。
周囲から『そろそろA級でいいんじゃない?』と言われることが増えてきたので、大学2年夏の『季節杯』(B級公式戦。400名以上出場)をB級最後の試合にしようと決めて出ました。この試合を3位で終えて、次の試合からA級で出るようになりました。
――伸び盛りの時期、成長を実感した瞬間は?
酒:大学2年の終わり頃に出た『ジャパンオープン』で(当時3月開催)、初めてプロ選手に勝って、続けて元プロのトップアマ選手にも勝利して、シングルトーナメントに進んだ時ですかね。半分間違って勝っちゃったようなものですけど、『自分の力を出し切ることができればプロに勝つこともできるのか』と、はるか遠い先のことだと思っていたことが、突然自分の感覚に降りてきたというか。その2試合を通じて、自分の中のリミッターが外れて、プレイヤーとしてのギアが2段階くらい上がったような感覚がありました。ですので、たとえ今の自分の力量から大きく離れたハイレベルな大会であっても、迷わず出場して経験を得てビジョンを広げることが、上達への近道だと思っています。
――ビリヤードのプロになろうと考えたことは?
酒:憧れはありましたが、それよりもビジネスの世界で自分の可能性を思い切り試してみたいという気持ちが強かったです。ありがたいことにアマチュアも参戦出来るプロ公式戦が多かったので、社会人になっても大会に出られるだろうという考えもありました。
――そして、ソニーに就職し、大阪へ赴任。
酒:商学部だったので大学3年の頃に会計士の勉強をしていて、監査法人などの進路を考えたんですが、正直、性に合わないなと思って方向転換して、1年留年してマスコミを中心に就職活動しました。その中で唯一メーカーで惹かれたのがソニーでした。興味のあったエンタテイメントビジネスにも強いですし、ユニークで新規性のある映像・音声製品も多く、社風が自由で、「これは面白そうだな」と。その後、無事ソニーに入社して、5ヶ月ほどで大阪転勤となり、約4年半、大阪で過ごしました。
――『エイトボールオープン』準優勝(2006年)や『グランプリウエスト第1戦』3位(ベストアマ。2007年)というプロ大会での戦績は大阪時代のものですね。
酒:そうです。当時は自宅から徒歩圏内の難波の『J-BRIDGE』(2020年2月に閉店)に通ってました。仕事が終わってから日付が変わるまで撞いて、そのまま深夜に平井(隆文)さん(当時のJ-BRIDGE代表)とラーメンを食べに行くのが定番でした(笑)。また、『ゴールドナイン』、『アメリカンクラブ』(ともに現在は閉店)、『ツェット』などにもお邪魔して、プロやSAクラスの面々とよく一緒に撞いてもらっていました。並行して『グロービス経営大学院』(ビジネススクール)の大阪校にも単科生で通い始めて、そこにも時間を割いていました。仕事・ビリヤード・ビジネススクール・他趣味、良いバランスで楽しんでいたと思います。
――大阪赴任が終わって、東京に戻って来たのが2009年ですか。
酒:2009年3月に関東に戻り、たまたま家探しをしている時に、ここ『MECCA Kawasaki』に来て、銘苅(朝樹)さん(当時プロ・MECCA Kawasaki代表)と一緒に撞いていただき、翌日には家を近所に決めて、ここに通わせてもらうことになりました。ちょうどこの年の『関東オープン』では、私も銘苅さんも勝ち上がり、「これはぜひ銘苅さんと決勝戦を撞きたい!」と思ったのですが、準決勝で敗退してしまい、悔しい思いをしたのが印象に残っています。
――その後、ビリヤードの大会に出ていなかった時期がありますね。
酒:もっと徹底的にビジネスを学ぼうと思って、仕事は継続しながら、2010年4月から東京の『グロービス経営大学院』のオリジナルMBAプログラムに入学し、決めた通り2年間でやり切って卒業しました。仕事の質をキープしながら、平日は週2日の夜間講義と週3日の予習&復習、土日は朝8時から夜10時くらいまで講義と勉強漬けの日々で、週40時間くらい勉強してました。学生時代のビリヤードに近い浸かり具合です(笑)。覚悟はしていたので心残りは無かったですが、この2年間はビリヤードから距離を置き、試合にもほぼ出ていませんでしたね。
――まずビジネスパーソンとしての向上を目指した。
酒:当時20代後半で独身だったので、自分の時間をフルに使ってオリジナルMBAを取得するなら今しかないなと。仕事との両立は困難を極めましたし、周囲とのレベルの差に劣等感を味わい、納得のいく解を出せずにとことん追い詰められて、これまでの人生で一番プレッシャーを感じた時期でした。でも、それ以上に貴重な学びと成長、そしてかけがえのない仲間を得られました。終盤にはつらさを通り越してたまらなく面白いと感じる境地まで辿り着くことができて、自分の限界値を大きく引き上げることができたと思います。
――今の酒井さんの「限られたビリヤード時間を徹底的に楽しもうとする姿勢」は、グロービス経営大学院での学びから来ているのでしょうか。
酒:あそこで培われた部分が大きいと思います。『この限られた1時間をいかに徹底的に濃密に過ごせるか』ということを常に考えるようになりました。ビジネスの世界では、従来の常識では100日かけないと出せなかった成果を、わずか数日でその数倍出してしまう人が現れたりしますよね。その差を一つ挙げるなら『メカニズムを理解し、それを自分にとってベストな形に組み上げられるかどうか』。ビリヤードでも、まず自身の体の特性と動きのメカニズムを理解して、成功率を高めるために重要な急所――体の部位・目線・内部意識・キューバランスなど――を探し出し、伸びしろを最大限確保しながら、最小の努力で最大の成果を得られるフォームと上達方法を模索する。そうすれば、今まで10時間かけて練習して得ていた成果を、1/10の1時間でも同等以上に得られるはず。そういう考え方にたどり着けたのが、ビリヤードとの付き合い方を変えるターニングポイントだったと思います。
(前編了)
後編に続く
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My Billiards Days :
Vol.1 今村哲也さん(Tetsuya Imamura)前編/後編
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BD Official Partners :
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