6日に開幕した
(イギリス・ミルトンキーンズ)。
ディフェンディングチャンピオン
(2019年大会覇者)として
オープニングマッチに登場した
フェダー・ゴースト
(Fedor Gorst。ロシア)は、
Day1で2試合連続勝利を収め、
早くもグループラウンド
(予選ダブルイリミネーションラウンド)
を勝ち抜けて、
ベスト64(決勝シングルトーナメント)
進出を決めています。
※ライブスコアはこちら
※トーナメント表はこちら
そのゴーストの、
大会開始直前インタビューが
大会主催のマッチルームプールの
YouTubeチャンネルにアップされています。↓
ロシアンピラミッドから始まった
競技キャリア、
第二の父とも言える恩人との出会い、
ジュニア時代の日々、
影響を受けたプレイヤー達、
道のりと後日譚。
コロナ禍の日々。
などなど、非常に興味深い内容でしたので、
ざざっと日本語に書き起こしたものを
お届けします。
ゴーストは現在21歳。
プレーも挙措もオフテーブルの姿も
以前から落ち着いていて、
年齢以上の成熟ぶりを感じていましたが、
彼の半生を聞き、それも納得がいきました。
…………
ゴースト・談:
僕の名前はフェダー・ゴースト。21歳になったばかりで、現世界チャンピオンだ。
幼少期は家に『ロシアンピラミッド』(※ロシアでポピュラーなビリヤード種目)のテーブルがあった。両親が9フィートのロシアンピラミッドテーブルを持っていたんだ。1歳か2歳の頃には常にその周りにいて、テーブルに寝転がってボールを追い掛けていた。
父はその姿を見て、ビリヤードが好きだと思ったんだろうね。6歳か7歳の時に、父は僕にコーチを付けることにした。だから、僕は最初にロシアンピラミッドをやってみて好きになった。なぜなら、ロシアではビリヤードと言えばロシアンピラミッドだったし、当時はポケットビリヤード(アメリカンプール)の台がなかったから。いや、あったんだろうけど、父は知らなかったと思う。
ロシアンピラミッドを始めていくつかの試合では勝ったりもした。でもその時はそこまで試合には出ていなかったね。それが9歳までのことで、それからコーチを変えた。父の考えでは、ある一定のレベルまでは一人のコーチに見てもらって、成長が感じられなくなったら異なる知識を持った別のコーチに教わるべきだということだった。悪く聞こえるかもしれないけど、それは本当のことだと僕も思っている。
9歳か10歳の時にコーチを変えたら、その新しいコーチが「ポケットビリヤードに転向するべきだ」と言ったんだ。それがポケットの世界に入ることになった理由。ロシアンピラミッドよりもポケットの方がプレーする機会は多い。世界中を飛び回って試合ができるし、賞金額は大きい。プレー人口が増えているから、有名にもなれる。
子供の頃、僕にとって父は大きな存在だった。でも残念ながら僕が13歳の時に父は亡くなってしまった。そこから自分にとって最も大きな存在となったのはマイク・ニコライだ。彼について少し説明しておかないといけないね。彼が僕の人生を変えたんだ。
マイク自身もビリヤードプレイヤーで、ロシアの試合や『ダービーシティクラシック』(アメリカ)や『ユーロツアー』にも参戦歴がある。でも彼はプロじゃなくて、セミ・プロみたいな感じ。その頃の僕はロシアで出られる試合をずっと探していた。正直言うと、練習のためだけじゃなく小遣い稼ぎをするためにね(笑)。そしてマイクに「一緒に撞こう」ってメールを送ったんだ。良い練習になるし、たぶん僕が勝ってお金ももらえるから(笑)。マイクも快諾して、ゲームをしたら僕が負けてしまった。今でも覚えているよ、次の日はめちゃくちゃショックだった。自分が負けてお金を払うことになるなんて考えもしなかったから。
その翌週、彼からメッセージをもらった。「真面目な話をしようじゃないか」ってね。何を話すか詳しくは教えてくれなかった。彼が経営するバーに行くと、彼は僕にスポンサーシップの話を持ちかけてきた。今後数年ですべきこと、練習方法、参加する試合について話し合った。彼は僕の旅費を負担してくれて、そこから僕のキャリアは180度変わった。
もちろんその影響は大きかった。僕は家族の中で唯一の男だし、家族を金銭的に養うだけでなく精神的に支えるためにも、しっかりしていなければいけない。まだ若い子供にとって、そういったことは大人ほど簡単なものではないと思う。でもそれは問題ない。マイクも父親を亡くしていて、それも僕にスポンサーシップの話を持ちかけてくれた理由だろう。僕にとって彼は最良の友であり、第二の父親でもある。
10歳や11歳の頃、ビリヤードは僕にとって学業の片手間の趣味だった。その頃はいつも優れたプレイヤーを見ていた。ルスラン(・チナコフ)やコンスタンティン(・ステファノフ)だね(※ともにロシアトップ選手)。自分にとって彼らはポケットビリヤードの神様で、いつか彼らみたいになれたらハッピーだって思っていた。それまでは優れたプレイヤーがやっていることを見て、それを繰り返し、より良くなろうとしてきた。
『ヨーロッパ選手権』や『ユーロツアー』に参加するまで、海外の選手はよく知らなかった。それからニールス(・フェイエン)やヨハン(・ルイシンク。※モスコーニカップ史上初めて欧米両軍の監督を務めた人物)といったオランダの選手が練習熱心だとわかって興味を持った。僕のお手本はニールス・フェイエン。彼のビリヤード基礎力、ロボットみたいなショットが好きで、一部は真似したしそれで自分のやり方を変えたりもした。だからニールスには感謝したいね。
正直言って今は自分のスタイルは唯一無二だけど、昔は真似ばかりしていた。自信や傲岸不遜さを(ヨシュア・)フィラーから、基礎力をニールスから、メンタルをヨハンから、といった具合に。ただヨハンは僕が15歳の時に会ったから、それまでは一人だったりロシアのコーチと練習したりしていた。
人生で挫折はそこまでなかった。家族を失うこと以上に悪いことはないと考えているから。でもビリヤードの世界ではそんなことはない。僕はまるで階段を一歩一歩上るように進むタイプだけど、前回の『世界選手権』(優勝した2019年大会。カタール開催)は間違いなくそんな感じじゃなかったね(笑)。
ジュニアの試合に出ていた頃は、準々決勝まで行って負けて、次の年は3位で終わってというように少しずつ成績は良くなっていったんだけど、自分の目標設定にも問題があったと思う。準決勝に行けば十分で、「ああ、3位でよかった」って感じだった。でも世界選手権で優勝してメンタリティも含めて全てが変わった。今は全く違う考え方をしているよ。
試合で勝ち始めた時のことを覚えている。僕のことを次世代のスターだとか世界トップになれるとか皆は言ってきたけど、正直なところ僕は自分自身を見つめ直したり、知識を持った優れたプレイヤーの話に耳を傾けるようにしていた。言っちゃ悪いけど、見識のない人の話はあまり聞いてなかった。自分が傲慢だとは思っていないし、傲慢だと感じてほしくはないんだけど、他の人からの評価をプレッシャーに感じるということはなかった。他の人の話はあまり真剣に受け取っていなかったから。
2019年シーズンの前半はランキングでトップだったし、その年の終わりの『モスコーニカップ』のヨーロッパチームに入る可能性があると本気で信じていた。合算ランキングで3位だったし、残り試合数も少なかったから。でもその後の試合で好成績を残せなかったり、健康上の問題でいくつか試合に参加できなかったりして、メンバーの座をかけた試合でアレックス・カザキスに負けたのを覚えている。めちゃくちゃ悔しくて、最悪の年だと思ったしもう二度と起こってほしくないと思った。
でもその出来事があったからこそ、2019年最後に世界選手権を獲ることができたと考えている。あれでマーカス(・チャマット。当時のモスコーニカップ・ヨーロッパチームの監督。選手指名権も有していた)が間違っていたって証明できたね。(2019年はヨーロッパチームが敗れたことで)僕がいないために大きな獲物を逃したとこれ以上ない形で示せたんじゃないかな。
ただその時は18歳と若かったから、他のプレイヤーに比べたらそこまで辛くは感じなかった。たった1回、試合に出る機会を失ったってだけだし、そこまで多く試合に出ている訳でもないから。もちろん1週間か2週間くらいは悲しかったけど、次の試合に向けて練習しないといけないから、それに向けて自分のケツを叩いたよ(笑)。
フィラーと僕は似たような状況にあると思うし、フィラーが世界を獲った瞬間(2018年)を見ていたからこそそれが役立った部分もある。2019年、僕は全く期待はせずに世界選手権に参加したんだ。9位タイとか5位タイくらいを目標にしていて、優勝するなんて思ってもいなかった。もちろん試合で優勝できるって常にイメージはするよ。勝てないって思いながら試合に臨む理由はないからね。でも実際のところは5位タイに入ればいいって感じで、優勝しようとは思っていなかった。調子も悪くてベストな状態とは程遠かったからね。
だから毎日プラクティスルームでルスラン(・チナコフ)と遅くまで残って練習していた。最初の試合で負けて敗者側に回って。毎日少しずつ良くなろうとはしていた。でもあの時のフォーマットだとブレイクが全てで、そればかり練習していた。そこが他のプレイヤーと最終的に差をつけた部分になったと思う。でも準決勝と決勝では両選手とも苦戦しているのが見て取れるだろう。お互い疲れていたし、プレッシャーもあったから。
張榮麟(台湾)と決勝を戦うことになったのはそこまで怖くはなかった。準決勝が始まる時に残っていたのは僕以外全員アジア人だったし、勝てばその中の誰かとやることになるのはわかっていたからね。だからそれは関係なかった。
世界選手権優勝の実感が湧くまでに少し時間はかかった。休暇でタイに行ってバカンスを楽しんで、それから自信満々でギリシャでの大会(2020年1月『KING8 アテネ9ボールオープン』)でも勝って。そしてパンデミックが始まった。きつかったよ。ときどき自分は世界チャンピオンじゃないんじゃないかって思う。でも……何て言ったらいいかわからないね(笑)。とにかくめちゃくちゃタフできつかった。そのギリシャの大会の後も感触は良かったし、その後の『ユーロツアー』で3位になった。それが最後の試合だったかな。……あ、違うね。『10ボール選手権』の直前の『ラスベガスオープン』(2020年3月)に出て、そこから全てキャンセルになった。その頃の調子は良かったと思っている。
そしてロックダウンが始まった。家には7フィート台しかなかったから、そこで練習して世界が元通りになるように願っていたけど……ならなかったね(笑)。その後数ヶ月は他のことに集中するようにしていた。例えば本を読んだり体型を維持したり。学校の試験があったから勉強もしていたね。だから、ロシアで多くの店が営業を再開し始めた6月まではビリヤードのことを気にかけていなかった。
そこから練習に戻って、2ヶ月後にアレックス・レリー(モスコーニカップ・ヨーロッパチームの監督)から2020年のモスコーニカップのメンバーに入っていることを告げられた。嬉しかったね。試合には勝っていたし、ロックダウン前のランキングでは1位だったけど、メンバー選出の方法を知らなかったから。もしかしたら二度とモスコーニカップでプレーすることはないかもしれないと思っていた。
マッチルームが世界選手権を開催するって知った時は、めちゃくちゃハッピーだった。僕が優勝した2019年大会の試合環境は世界選手権にふさわしいものとは言えなかったからね。もちろんちゃんと運営されていたけど、その前年までは素晴らしい特設会場でちゃんとライブ配信もされていて気に入っていた。でも2019年大会はまるで違っていた。プラクティスルームで試合をするのと変わらない環境だった。たしかカタールビリヤード連盟の練習場(兼事務所)か何かだったと思うけど、観客もいなくて、あれでは世界選手権とは言えないね。僕の夢は観客の前でベストな試合をすることだし、それはプレイヤー全員が夢見ていることでもあると思う。
今年これまでのトーナメントは思ったようにいかなかった。『ワールドカップオブプール』(5月)は、初戦(vs スイス)は良い試合ができた。そこまで緊張もしなかったし、安定しているように見えた。けど、2戦目(vs 日本)はプレッシャーが襲いかかってきた。たぶん観客がいる試合環境の経験が少なかったんだと思う。観客の数は多くはなかったけど、それでもマッチルームの特設アリーナで、僕やパートナー(セルゲイ・ルツカ)が撞き慣れている環境とは間違いなく別物だった。
その次の『ワールドプールマスターズ』(5月)はあまりチャンスがなかったね(ベスト16でS・バンボーニングに敗退)。ショートマッチの個人戦で、2つ小さなミスをして負けてしまった。だから、これから始まる2021世界選手権に向けてポジティブであろうとしているんだ。
――世界選手権スタート直前のこの状況で想像してみて。選手入場で君の名前が呼ばれる。『フェダー・ゴースト、現世界チャンピオン!』。君はアリーナに向かって歩いて行く。他のプレイヤー全員が君の登場を待ちわびている。大画面に映し出されスポットライトを浴びて、カメラが君の姿を追う。どんな気持ち?
間違いなく自分のことを誇らしく思う。100%素晴らしい気持ちになるだろう。言ったように、このような舞台でプレーすることが自分の夢だったからね。今回の世界選手権は最も素晴らしい試合になるだろう。特に今年は無観客だし(※最終日は観客を入れる予定)、ビリヤード界にとって真新しいものになるだろうね。
いつも試合の時は自分のグループを見る。初戦で誰と当たるかもちろんわかっているけど、決勝ラウンド進出以上先のことは見据えていない。あらゆることが起こる可能性がある。負けるかもしれないし勝つかもしれない。自分の夢が叶って最高の試合を観客の前でできるように願っている。準決勝までは勝ち抜けるように頑張らないとね(笑)。もちろんこのタイトルを防衛するのも自分にとっては大きなことだから。
(了)
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2021年9ボール世界選手権関連BD記事:
◆ 6/7:Day1終了・日本選手戦績
◆ 6/6:会場内ドローン映像
◆ 6/5:会場設営中!
◆ 6/3:プレデターテーブル、ヴィジュアル公開
◆ 6/3:初戦の組み合わせ発表
◆ 5/21:大会公式テーブルはプレデターの新テーブルに
◆ 5/2:日本から大井直幸・吉岡正登・赤狩山幸男、参戦
◆ 4/23:フォーマット&アートワーク、発表
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