〈BD〉2010年代どれだけS・バンボーニングが支配的だったか。その2【インタビュー動画・日本語書き起こし】

 

その1から続く~

 

 

『USオープン9ボール』

優勝5回(最多タイ)、

 

『ワールドプールマスターズ』優勝2回、

他、優勝・入賞多数。

 

『モスコーニカップ』では

アメリカチームの大黒柱として

活躍しているシェーン・バンボーニング

(Shane Van Boening。現在37歳)。

 

バンボーニングは、

アメリカのビリヤード誌

『Billiards Digest』

(ビリヤードダイジェスト)が選ぶ、

 

「2010年代のベストプレイヤー」

(Player of the Decade 2010s)の

座に輝きました。

 

バンボーニングは、興行的には

スヌーカーの1/10以下とも言われる

プール界で、2010年代の10年間で

55のプロトーナメントで優勝し、

約1.5ミリオンドル(約1億6千万円)を

稼いでおり、

 

タイトルの質量・獲得賞金額の

面から見て、2010年代の

No.1プールプレイヤーと言えるとのこと。

 

『Billiards Digest』誌では2020年に

バンボーニングの特集が組まれました。

 

 

この写真を撮影したフォトグラファー、

JP・パーメンター氏が、

自身のFacebookで

インタビュー動画を公開。

 

バンボーニングの2010年代の業績と

それにまつわる思い出だけでなく、

彼のビリヤード哲学や

自己評価などを聞いています。

 

動画そのものは

リポスト(転載)不可なので、

ぜひパーメンター氏のFacebook

少しさかのぼっていただき、

ボーニングが穏やかに語る姿を

ご確認ください。

 

ここではインタビュー動画の

日本語書き起こしをお届けします。

ラフに訳した箇所・はしょった箇所も

あります。ご容赦ください。

 

※挿入している画像や動画は

BD撮影のものです。

 

…………

 

~イントロ部~

 

シェーン・バンボーニング(以下 S):自画自賛はしたくないけど、自分は良いプレイヤーだと言えるし、上手く撞ける。一緒に撞きたいなら相手は出来るよ(笑)。

 

ビリヤードを知っている人に向けて自己紹介すると、僕は『USオープン9ボール』優勝5回、『ワールドプールマスターズ』優勝2回、『マスターオブザテーブル』(ダービーシティクラシック総合優勝)2回、そして元世界ランク1位だ。

 

ビリヤードダイジェスト誌のM・パノッツォから「君が『プレイヤー・オブ・ザ・ディケイド』(2010年代ベストプレイヤー)に選ばれるだろう」という連絡があった時、僕は「それは良いニュースだ」と言ったよ。そして「写真はラシュモア山で撮りたい」と伝えたんだ(※アメリカ大統領4名の顔が刻まれていることで有名な山。バンボーニングの地元であるサウスダコタ州にある)。

 

…………

 

――2010年代ベストプレイヤーに決まった瞬間の気持ちは?

 

S:それは叶えたいと思っていた目標の一つだったのは間違いない。10年間よく頑張ったし、10年に渡ってプレーレベルを維持することはとても難しいことだ。だから、間違いなく名誉あることだし、とても光栄に思う。これまでにないぐらい最高の気分だよ。

 

――誰に最初に伝えましたか?

 

S:たしか祖父だったと思う。とても興奮していて、すぐにビリヤードダイジェスト誌を買いに行ったよ。

 

――ビリヤードがあなたにもたらしたものとは?

 

S:若い頃初めて海外に行った時には、ビリヤードが自分にどういったことをもたらしてくれるかなんて考えたこともなかった。でも、それから世界中を旅して、ただビリヤードをするためだけに59もの国を訪れ、様々な文化に触れてきた。まさにそれ自体がビリヤードによってもたらされたものだ。最高の贈り物だよね。僕はプロのビリヤードプレイヤーという職を選んだことを後悔していない。これまで長い道のりだったね。世界中を巡り、知らない人に出会って、世界中の試合に出て、たくさんの試合で優勝して、そして「2010年代ベストプレイヤー」に選ばれて。たくさんの思い出があるし、間違いなく素晴らしい立場にいるよ。

 

――これまで支えてくれた人は?

 

S:僕のキャリアを支えてくれた人は何人かいる。最初から話すと、僕にはたくさんのサポーターがいて、家族、友人も応援してくれたけど、中でもキャリアを大きく変えてくれたのは祖父と叔父のマイク・ブルームバーグだ(※バンボーニングはビリヤード一家に生まれ、祖父・母・叔母・叔父がハイアマチュア。祖父はビリヤード場を持っていた)。マイクとは世界中を回ってたくさんの人とプレーしたよ。そして、数年前に亡くなってしまったけど、最も支えとなってくれたのがチャップ・ホールマンだ。彼も僕のプレー面に大きな影響を与えた人物だ。僕のことを情熱があり恐れ知らずの男だと思ってくれていたんだ。そういうところこそ彼から学んだことだし、プレイヤーとしての今の僕を作ってくれたものだと思う。

 

――2010年代の10年間でベストな年は?

 

S:多くの試合で優勝を飾った2014年だ。『ワールドプールマスターズ』(1度目)、『USオープン9ボール』(3連覇で通算4度目)、『スーパービリヤードエキスポ・プロトーナメント』、『ダービーシティ・9ボール』(3度目)、『ダービーシティ・10ボール』(招待制サイドイベント。初V)で優勝した。素晴らしい年だった。

 

――2010年代の10年間で最良の思い出は?

 

S:2018年の『モスコーニカップ』で、ヨーロッパチームのアレックス・カザキス相手に1-9コンビを決めて、アメリカチームの優勝を決めた時だ。アメリカは2010年大会から8年連続で負けていたけど、僕が1-9コンビを沈めて9年ぶりの優勝を飾ったんだ。最高の気分だったね。

 

――この10年でのベストマッチは?

 

S:それは『USオープン』で優勝した時の準決勝、ジェイソン・ショウとやった試合だね(※BD註:2016年〈5度目の優勝時〉と思われる)。6-10のビハインドから逆転勝ちして、結果優勝も出来たんだ。ショウは間違いなく良いプレーをしていたけど、あの試合が僕の一番の思い出だ。

 

――この10年で最大の実績とは?

 

S:『USオープン』3連覇(2012年、2013年、2014年)。たぶんあの時は最高に調子が良かった。

 

USオープンの前回大会(2019年。ラスベガス開催)。バンボーニングはベスト16で敗れた
USオープンの前回大会(2019年。ラスベガス開催)。バンボーニングはベスト16で敗れた

 

――もし何かを変えられるとしたら?

 

S:変えられることはいくらでもある。たぶん釣りにもっと時間をかけるだろうね(笑)。人生は短く、やるべきことが盛りだくさんだ。生きる上でバランスを取らないといけないし、そうすることでビリヤードもより上手くなって人生をもっと楽しめるかもしれない。

 

――この10年で最悪だった年は?

 

S:おそらく2011年。年の初めの時期をのぞいてトーナメントに勝てなかった。1年を通して3勝くらいだったかな。ある種のスランプに陥っていた。でも、そこからどんどん良くなって、2012年から始まる『USオープン』3連覇に繋がったんだ。

 

――この10年での最悪の思い出とは?

 

S:『9ボール世界選手権』で2年連続準優勝だったこと。1度目の年(2015年)の決勝戦は柯秉逸(台湾)が相手で、僕が8-5までリードしていたんだ。次のラック、的球が残り3つになった時に柯秉逸がファウルをした。フリーボールを得たけど攻められる形じゃなかった。テーブルの中央で7番と8番がくっついていてどのポケットにも狙えなかった。信じられないほど苦しかったよ。あれがなければ優勝して世界チャンピオンになっていただろうにね。

 

2015年9ボール世界選手権(カタール開催)・決勝戦のバンキング
2015年9ボール世界選手権(カタール開催)・決勝戦のバンキング

 

――この10年での強敵を3名挙げるなら?

 

S:思い付く限り、強かった相手はおそらく……ダレン・アプルトンは本当にタフな相手だった。デニス・オルコロも手強かった。そして、ジェイソン・ショウはたぶん今一番恐ろしいプレイヤーだろうね。

 

――自分のプレーの長所とは?

 

S:ブレイクについて豊富な知識があること。たくさんの試合、たくさんのトーナメントで勝てるだけのブレイクを持っているということだね。ガールフレンドと一緒にドライブに出掛けるなら、まず良い運転をしないといけないのと同じことさ。ビリヤードではまず良いブレイクをして、手球をコントロールし、良い取り出し(1番への形)を作る必要がある。そうだろう?

 

 

――聴覚障害はプレーにどのような影響がありますか?

 

S:こう考えてほしい。もし補聴器がなかったら、どう転んでも僕には何も聞こえないんだ。つまり僕に選択の余地はない。まずわかってほしいのは、僕がひたむきに努力を積んでたくさんの時間をかけた結果、今こうしてビリヤードのトッププレイヤーになれたということ。その献身的な姿勢こそが「2010年代のベストプレイヤー」になれた理由だ。だから、ビリヤードに関して僕の障害は全く関係ない。

 

実際のところ、ビリヤードをしている時はだいたいの音は聞こえている。基本的にはいつもいろんな音を聞きたいと思っているんだ。ボールがポケットに向かう音や、ブレイクの音や、とにかく全部の音を聞きたい。そうやって上達してきたからね。でも、後ろに人がいて騒がしかったりすると、その音を遮断せざるをえなくなる時もたまにある。

 

僕のように聴覚障害を持つ人に言いたいのは、人生で望むことは何でもできる。努力すればなりたいものになれるということ。これこそ僕が身を以て世界に発信できることだ。人生において何でもできるという例だよ。障害があろうがなかろうが関係ない。さっき言ったように僕に選択肢はないんだ。音が聞こえてようが聞こえまいが、補聴器を取り外したら同じこと。何も聞こえない。でも、それもまた競技の一部だ。

 

――次の10年間(2020年代)については?

 

S:次の10年を予想してみると……楽しんでいるだろうね。トーナメントに出て、楽しめることをやって、人生のバランスを取っているはずだ。釣りや狩りをやって、友人や家族と時間を過ごして。きっと勝っても負けてもビリヤードを楽しんでいるだろう。そして、『モスコーニカップ』でチームアメリカの一員としてプレーし続けたいね。

 

――次の10年間のトッププレイヤー3名を挙げると?

 

S:おそらく……自分(笑)、フェダー・ゴースト、そして、たぶんジェイソン・ショウを選ぶだろう。

 

…………

 

~エンディング部~

 

S:今こうして僕にスポンサー企業が付いてくれていることを本当に幸せに思う。特にキューテックとはもう約11年の付き合いで、彼らのキューは素晴らしい。今後も僕はキューを変えることはないだろう。他にも、新しくスポンサーになったダイナ スフィアボールをはじめ、アンディクロス、VNEAプールリーグと、素晴らしい企業がスポンサーになってくれている。VNEAは僕の生まれ育ったサウスダコタ州ラピッドシティでも行われていて、僕も参加していたんだ。トッププレイヤーへの道のりの原点と言えるね。今後VNEAと共に活動できるのは嬉しいよ。そして、ファンの皆にも感謝の気持ちを伝えたい。君たちがいなければ僕は今この場にいないだろう。「2010年代ベストプレイヤー」になれて素晴らしい気持ちだし、今この場にいることを光栄に思う。ありがとう。

 

(了)

 

※「その1」(データ動画で見る

2010年代のバンボーニング)はこちら

 

…………

 

※バンボーニングの

2016年のインタビューはこちら

 

 

 

…………

 

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