「ビリヤード珍品コレクター」の
I氏(あいし)が所蔵している、
約半世紀前の月刊紙
『日本ビリヤード新聞』から、
当時のビリヤード事情を読み解く
企画の第3回。
今回採り上げるのは
昭和41年(1966年)12月号(第20号)。
R・クールマン選手ら
欧州キャロムのトップ選手達の
初来日(1966年11月)の模様を
事細かに伝えています。
…………
I氏・記:
ビリヤードをこよなく愛する皆様、こんにちは。今回は11月に起こった過去のビリヤード・ニュースを紹介させていただきます。
上の画像は、当方が所有している『日本ビリヤード新聞』昭和41年(1966年)12月号(第20号)の一面記事ですが、大きな写真が堂々と載せられています。この号は特別編集号だったとはいえ、紙面の半分ほどの写真を一面トップに載せるのは異例です。
それもそのはず、この年の10月に当時のヨーロッパのキャロムのトッププレイヤーである3選手が一堂に来日して、11月に『国際ビリヤード競技大会』を国内の6都市で開催したからです。
写っているのは、左側から
小方浩也選手(日本)、
J・シェルツ選手(Johann Scherz、オーストリア)、
R・クールマン選手(Raymond Ceulemans、ベルギー)、
H・ショルテ選手(Henk Scholte、オランダ)、
久保敬三選手(日本)です。
最近はほとんど見ませんが、昔は出場選手揃い踏みでこんなポーズで記念撮影をすることが定番でした。
今回はこのイベントが開催されるまでの経緯と、大会の詳細についてご紹介しましょう。
…………
明治から大正にかけて、キャロムの山田浩二選手などが“武者修行”をかねてヨーロッパを転戦したことがありましたが、昭和の時代からはアメリカに向かう選手がほとんどでした。
松山金嶺選手が戦前にアメリカからスリークッション競技を日本に“輸入”し、1952年(昭和27年)には桂マサ子選手が女性として初めて、アメリカで開催されたスリークッションの『世界選手権』に出場したことはよく知られています。
その後、日本が1964年(昭和39年)に世界ビリヤード連盟(UMB)に加入してからは、キャロムの本場であるヨーロッパのトップ選手の様子が日本でも徐々に知られるようになってきました。
『日本ビリヤード新聞』昭和40年(1965年)6月号(第2号)の一面の下部に、以下の小さな記事が載せられています(原文ママ、以下同じ):
“世界のチャンピオン スールマン選手来日か
今回の世界選手権大会で、その強味をいかんなく発揮、五種目と3クッションの世界選手権者になったスールマン選手(ベルギー)を、日本に招聘し、その神技を披露してもらおうという計画が、一部の人々によりなされている。
条件などの点もあり正式にはまだ申入れをしていないが、渡欧中の小方選手を通じて、非公式に来日の希望があるかどうかを打診中である。
実現すると、現在最高の妙技を目のあたりにできるわけで、二十八才というこの若きチャンピオンの来日は、日本ビリヤード界のためにも、ぜひ実現させたいものである。”
記事中に“スールマン”とありますが、これは単なる誤植ではありません。当時の日本のビリヤード関係者は、Ceulemansの実際の発音の仕方がよく分からなかったようです。
この翌々号の昭和40年(1965年)8月号(第4号)の一面には、クールマン選手をはじめ当時の欧米の有力選手を3、4人来日させようという動きが本格的に始まったことを伝える記事が載せられています。ここでも大見出しに“スールマン”と書かれています(写真のキャプションには“スルーマン”ともあります)。 ちなみに Ceulemans のカタカナ表記は、この翌月の昭和40年(1965年)9月号(第5号)以降は“クールマン”に統一されています。
…………
さて、昭和41年(1966年)の10月30日に、クールマン、シェルツ、ショルテの3選手がついに日本の羽田空港に降り立ちました。海外のビリヤードのトップ選手が日本の地を踏むのはこれが初めてではないかと思われます。
あらためて、初来日を果たした3選手のプロフィールを簡単に紹介しましょう。
クールマン選手は言わずとしれた“ビリヤードの神様”で、1963年から1973年まで前人未到の『世界スリークッション選手権』11連覇を果たした人物です。公式大会の優勝回数が100回を越えたため“ミスター100”の愛称もあります。
シェルツ選手は、クールマン選手の存在もあってスリークッションの『世界選手権』の頂点には一度も届きませんでしたが、大会では常に上位に位置するキャロムのオールラウンド・プレイヤーです。
ショルテ選手は特にダイヤモンドゲーム(フリーゲーム)を得意とし、セリー(キャロム競技で的球2個を常に手玉に近づけて連続得点を狙う技術)の名手と呼ばれた選手でした。
11月1日には東京・赤坂のプリンスホテルで歓迎レセプションと報道関係者への共同記者会見が行われました。会場には今大会の名誉総裁に就任した有田喜一文部大臣(当時)の代理の田中栄一外務政務次官(当時)、今大会顧問の大倉精一参議院議員(当時)や、八田一朗日本レスリング協会会長(当時)も姿を見せ、大変豪華な催しとなりました。
その後、約1ヶ月の間に日本の6都市で『国際ビリヤード競技大会』が開催され、来日した3選手は日本のトップ選手と熱戦を繰り広げました。
以下がその行程と開催場所です:
11月5日~7日:東京大会(京橋公会堂)
11月8日:静岡大会(県婦人会館特設会場)
11月11日~13日:大阪大会(中之島中央公会堂)
11月15日:名古屋大会(愛知県体育館)
11月22日:福岡大会(九電記念体育館)
11月27日:札幌大会(札商ビル8階ホール特設会場)
↑すべて昭和42(1967)1月号(第21号)の記事より、大会の様子
各大会の合間の日程にも、上記の都市以外の既存のビリヤード場で精力的にエキジビションを行いました。11月16日には、京都で長らく続いているプール(ポケットビリヤード)の競技会『平安十六夜会ローテーション大会』の第338大会に姿を見せました(※現在912回まで継続開催されている)。
『日本ビリヤード新聞』では各会場での試合の様子が掲載されていますが、ここでは東京大会の3日間の結果を紹介いたします(この内容は「日本ビリヤード新聞」昭和41年(1966年)12月号〈第20号〉の記事内容に基づいています)。
ご覧の通り、ダイヤモンドゲーム(フリーゲーム)、2種類のボークラインではヨーロッパ選手の圧勝といえる結果でした。その一方、各日のメインイベントはすべて小方選手vsクールマン選手のスリークッションの試合でしたが、小方選手が2勝1引き分けという好成績を残しました。
(※フリーゲームやボークライン〈カードル〉などキャロムゲームについてのルール・競技規定はNBA発行のルール(PDF)をご参照ください)
…………
3選手は約1ヶ月の日本滞在を終え、11月29日に羽田から帰国の途につきました。
『日本ビリヤード新聞』では『国際ビリヤード競技大会』の開催決定から随時、その情報を掲載し、今大会についても3号にわたり特集記事を載せてきました。昭和42年(1967年)1月号(第21号)では、以下の文章で今大会をまとめています:
“いまこの大会をふりかえってみて、計画されてから一年半、文字通り全国の協会、組合、メーカー、選手 愛球家の方々の努力と協力 事務当局をはじめ、各地の世話に当たられた方々の蔭の力、といったものが一もつになって、わが国球史に一つのエポックを画す、偉業をなしとげたことを思うとき、それがもたらすものの大きさを、つくづく感じさせられる。”
この『国際ビリヤード競技大会』は、まさに日本のビリヤード史に残る貴重なイベントだったといえるでしょう。
…………
昭和40年代の頃は、海外の選手の雰囲気は文章かせいぜい写真で感じとれる程度でした。さらには、どのようなプレースタイルの選手なのかは、現地の試合に参戦した日本選手を通じてしか知ることができませんでした。そんな中、海外のチャンピオンクラスの選手を日本に招聘して、その姿やプレーを直接、目にできることはまたとない機会だったのです。
最近ではインターネットの普及もあって、海外の選手のプレーがオンラインの動画ですぐに見られる時代です。しかし、選手の立ち振る舞いや細かな仕草などは、やはり生で観戦して初めて分かることが多いです。
国内大会の場合、プールでは『全日本選手権』や『ジャパンオープン』、スリークッションでは『3Cジャパンカップ』などに海外の有力選手が参戦することがありますが、2020年初頭からのコロナ禍の影響で、どの大会も2年続けて中止になってしまいました。
ぜひ来年の2022年からはこのような大会が再開され、多くの海外選手のプレーが日本で見られることをI氏はビリヤード・ファンの1人として熱望しています。
…………
I氏、ありがとうございました。
また来月、約半世紀前の12月の
日本ビリヤード界のニュースを
解説していただきます。
※日本ビリヤード新聞紹介記事一覧はこちら
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