「ビリヤード珍品コレクター」の
I氏(あいし)が所蔵している、
約半世紀前の月刊紙
『日本ビリヤード新聞』から、
当時のビリヤード事情を読み解く
企画の第4回。
今回採り上げるのは
昭和43年(1968年)1月号(第33号)。
今も続くプール(ポケットビリヤード)の
『全日本選手権』の「第一回大会」の
レポート記事です。
…………
I氏・記:
ビリヤードをこよなく愛する皆様、こんにちは。今回は、12月に起こった過去のビリヤード・ニュースを紹介させていただきます。
上の画像は、当方が所有している『日本ビリヤード新聞』昭和43年(1968年)1月号(第33号)の記事の中の写真です。
その見出しには
『藤間一男選手優勝 全日本プロポケットビリヤードトーナメント』
とあります。
この大会は前年の昭和42年(1967年)12月に開催されたもので、現在のプール(ポケットビリヤード)のプロ選手団体であるJPBAが主催する『全日本選手権』の第一回大会にあたるものです。この大会の、開催に至った経緯と試合結果をご紹介しましょう。
…………
昭和42年(1967年)3月に、プールの最初のプロ選手団体である『日本ポケットビリヤード選手会』(NPP)が発足しました。
その活動の一環として、プールのプロ選手が参加する、日本初の公式大会が開催されました。その大会こそが今回紹介する『全日本プロポケットビリヤードトーナメント』なのでした。
この大会は株式会社大阪日本玉台の主催で、昭和42年(1967年)12月8日~10日に京都市の『竹田フェアーホール』特設会場で開催されました。試合形式はローテーションの300点ゲームの総当たり戦で、参加選手は以下の13名でした。(敬称略、五十音順)
(NPP所属選手:プロ一期生)
太田紘治
大橋公平
鍵村哲男
桜本守
田中守
野山修司
野山良一
花谷勝
藤間一男
堀江聡太郎
森口信幸
(招待選手)
五十嵐雍治
小林伸明
後にスリークッションの世界王者に輝く小林選手は、当時のキャロム界の若手のホープでした。また五十嵐選手は小林選手の師匠にあたる名選手でした。
「日本ビリヤード新聞」昭和43年(1968年)1月号(第33号)では、この大会記事の冒頭で次のように述べています(原文ママ、以下同じ):
“本大会には藤間一男選手がニューヨーク世界選手権で得た豊富なアイデアを会場に生かし、プロトーナメント会場のムードを遺憾なく発揮され、出場選手の興奮をいやが上にもかきたてていた。
大会第一日目、十二月八日午前十時内藤健治(前京都府体育振興会会長)大会会長の挨拶、全国撞球組合連合会会長中島作太郎氏および日本ポケットビリヤード連盟会長桑原美一郎氏の祝辞があり、司会の運営委員長一井栄一氏が試合開始を宣して所定の位置につき七十八ゲームにわたるトーナメントの幕は切って落とされた。”
本連載【シリーズ・日本ビリヤード新聞】のvol.2において、藤間選手が昭和42年(1967年)に訪米して現地の大会を観戦したことを紹介しましたが、トップレベルの選手や招待選手による総当たり戦といった現地の試合フォーマットなどを、この『全日本プロポケットビリヤードトーナメント』に採用したようです。
さて、この大会は13名の選手による総当たり戦ということで全78試合が行われたわけですが、この号では多くの試合について解説をしています。その中から一部を抜粋します:
第19ゲーム 小林伸明(300)-桜本守(223)
“クッション・テクニックに妙技を展開する小林選手は、3クッションプロの面目を遺憾なく発揮した。後半桜本選手の気迫なるかに思われたが、小林選手よく健闘し初の一勝をあげる。”
第23ゲーム 堀江聡太郎(300)-田中守(289)
“田中選手、ウイニングボールをポケットしたがレフリーより球違いを宣告され致命的なミスを犯す。”
第44ゲーム 桜本守(300)-野山修司(248)
“一敗を保持し藤間選手を追う野山修選手は、桜本選手の慎重なスローペースに巻き込まれ、二時間十分の死闘は桜本選手の辛勝に終り野山修選手貴重なゲームを失う。”
第50ゲーム 野山良一(300)-野山修司(174)
“兄弟対戦は大会のメインエベントの一つであるが、勝負の世界の苛酷さをしみじみ感じさせられたクールなゲームであった。野山修選手本日のコンディションが思わしくなく遂に三敗を喫す。”
第55ゲーム 野山修司(300)-藤間一男(267)
“野山選手ラスト13ボールのカラクッション・サイドコールが見事に決まり、ファンを興奮の渦に引き込んだワンダフル・ショットは一敗をキープする藤間選手を唖然とさせ、本大会のトップシーンとなった。”
本大会の最終ゲーム(第78ゲーム)は 森口選手 対 藤間選手の組み合わせでした。この最終ゲームまでの時点で、優勝争いは野山修司選手(9勝3敗)と藤間選手(9勝2敗)にしぼられていました。
結果は森口選手(300) 対 藤間選手(192)で、森口選手に軍配が上がったのですが、この試合を以下のように解説しています:
“本大会のラストゲーム・藤間選手の優勝なるか? 森口選手の勝利によって野山修司選手とタイスコアになり、同勝同敗のグランドアベレージ計算により優勝が決まるかの非常にきわどいエキサイトゲームになった。ゲームは森口選手の一方的スコアになり藤間選手の顔面に憂色の気配が感じられた。結局森口選手の勝利に終るも藤間選手の三〇イニング一九二点をスコアし、G・Aにおいて野山修選手を〇・五三五点の差で優勝を決定する。”
この記事は以下の文章で本大会の解説をまとめています:
“三日間延四十八時間十二分の日本初のプロポケットビリヤード・トーナメントは、七〇〇人余りの観客を集め、役員の絶え間なき努力と選手の超人的精神力によって、かずかずの話題を残しながら一大ペイジェントの幕は閉ざされた。”
この大会の上位成績者は以下の通りでした。
優勝:藤間一男選手/9勝3敗(GA 11.321)
準優勝:野山修司選手/9勝3敗(GA 10.786)
3位:堀江聡太郎選手/8勝4敗(GA 9.057)
ハイラン賞は132点をあげた田中選手に贈られました。またベストゲームは藤間選手が鍵村選手との一戦で記録した15イニングでした。なお招待選手の五十嵐選手は3勝9敗で12位、小林選手は2勝10敗で13位と奮いませんでしたが、それぞれ敢闘賞と技能賞が贈られました。
ちなみにこの大会では熱戦が続いたようで試合進行が大幅に遅れてしまい、初日の最終ゲーム(第28ゲーム)が終了したのが午前2時40分、二日目の最終ゲーム(第56ゲーム)が終わったのがなんと午前4時35分でした。最終日も表彰式など終えて閉会となったのは午後11時過ぎだったようです(二日目と最終日はどちらも午前9時からの試合開始でした)。
…………
プールの関係者にとっては、毎年11月に尼崎で行われる『全日本選手権』は一種の年中行事のような存在といえます。現在では海外からも有力な選手が多数参戦し、アマチュア選手にも門戸が開かれた、日本で一番大きな大会といえるものですが、第一回大会はわずか10数名のプロ選手を中心に実施されていたのです。
新型コロナウィルスの世界的な感染拡大により、2020年と2021年は中止となってしまった全日本選手権ですが、来年の2022年こそは無事に開催され、国内外の多くの選手がすばらしいプレーを見せてくれることを期待しています。そして、この伝統ある大会をこれからも続けてもらえれば……とI氏は願っています。
(了)
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I氏、ありがとうございました。
また来月、約半世紀前の1月の
日本ビリヤード界のニュースを
解説していただきます。
※日本ビリヤード新聞紹介記事一覧はこちら
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