「ビリヤード珍品コレクター」の
I氏(あいし)が所蔵している、
約半世紀前の月刊紙、
『日本ビリヤード新聞』から、
当時のビリヤード事情を読み解く
企画の第8回。
今回採り上げるのは
昭和44年(1969年)4月号(第48号)。
東京で初めて
『世界スリークッション選手権』が開催。
R・クールマンなど海外トップ選手達7名と
小方浩也選手など日本の3名が熱戦を
繰り広げました。その結果を報じています。
…………
I氏・記:
ビリヤードをこよなく愛する皆様、こんにちは。今回は1969年4月のビリヤード・ニュースを紹介します。
上の画像は当方が所有している『日本ビリヤード新聞』昭和44年(1969年)4月号(第48号)の一面記事の写真です。
その見出しには、
『第24回世界3C選手権終幕
クールマン ベルギー 七連覇なる
小方浩也選手第二位入賞 小林伸明選手第四位 樫木繁樹選手第六位 に入る』
とあります。
この年の4月に『世界スリークッション選手権』が東京で開催されました。ビリヤード競技の世界大会がアジアで開催されたのはこれが初めてになります。今回はこのイベントが開催されるまでの経緯と、大会の詳細についてご紹介しましょう。
…………
本シリーズの【ビリヤード新聞vol.3】では、昭和41年(1966年)11月に“ビリヤードの神様”R・クールマン選手らを日本に招聘して『国際ビリヤード競技大会』が開催されたことをお知らせしました。
また、この時代には『世界スリークッション選手権』の第20回大会(1965年、オランダ)で小方浩也選手が3位となり、また久保敬三選手も第22回大会(1967年、ペルー)で3位に入り、日本選手が活躍していました。このようなこともあり、日本のビリヤード関係者の中で世界選手権の日本招致の機運が高まりました。
世界選手権の開催地は世界ビリヤード連盟(UMB)の総会で正式に決定されるわけですが、その総会が開かれる前から各国の動向や開催地の立候補など、さまざまな情報が錯綜しました。『日本ビリヤード新聞』の紙上でも世界選手権の日本開催に関する記事が次々に登場しています。その代表的な記事の見出しを時系列で紹介します(原文ママ、以下同じ):
『3クッション世界選手権 その実現と成功に大いなる期待
来春、東京開催実現か 7月の世界連盟総会で審議』
(昭和42年(1967年)3月号:第23号)
『世界選手権の日程続々決まる
日本開催は西ドイツのあとか』
(昭和42年(1967年)4月号:第24号)
『世界選手権 U・S・A連盟から譲歩の申し出で
日本、あくまで東京開催を返信』
(昭和42年(1967年)月号:第25号)
(注:アメリカビリヤード協会から、世界選手権の開催をアメリカに譲ってほしいとの依頼がありました)
『日本ビリヤード協会 全体会議開催さる
世界ビリヤード連盟総会に染谷事務局長 派遣決定す』
(昭和42年(1967年)6月号:第26号)
『待望の3C世界選手権実現か 1969年3月、日本開催
染谷祥二事務局長ブリュッセルへ出発』
(昭和42年(1967年)7月号:第27号)
そして昭和42年(1967年)7月7日にベルギーのブリュッセルで開催されたUMB総会で、2年後の昭和44年(1969年)の『世界スリークッション選手権』を東京で開催することが満場一致で可決されました。
さて、待望の『世界スリークッション選手権』(第24回 東京大会)は昭和44年(1969年)4月1日~4月6日に開催されました。
場所は、2020年8月に惜しくも閉園となった東京・豊島園の屋内特設競技場でした。試合フォーマットは出場選手10人による総当たり戦(60点ゲーム)です。
参加選手は以下の通りです(カタカナ表記は、『日本ビリヤード新聞』の記事の表記と同じにしています):
レイモン・クールマン(Raymond Ceulemans, ベルギー 34歳)
クルト・トゲルセン(Kurt Thorgersen、デンマーク 22歳)
ラウレント・ブーランゼー(Laurent Boulanger、ベルギー 37歳)
オーレン・ギルバート(Allen Gilbert、アメリカ 40歳)
フンベルト・スギミズ(Humberto Sugimizu、ペルー 34歳)
ウイリアム・ハインズ(William Hynes、アメリカ 44歳)
ルイス・マヌエル・マルティネス(Luis Munuel Martinez、アルゼンチン 41歳)
小方浩也(日本 53歳)
小林伸明(日本 27歳)
樫木繁樹(日本 33歳)
大会前日の3月31日には東京・赤坂のプリンスホテルで歓迎レセプションと記者会見が行われ、在日オーストリア大使(代理)の祝辞もあり、大変華やかな催しとなりました。
そして4月1日に待望の世界選手権の幕が切って落とされました。6日間に渡る10名の総当たり戦(全45試合)は、各日6~8試合が組まれました。初日には、なんと日本の3選手が全員敗れるという波乱もありました。
今大会の上位選手の成績は以下の通りでした(GAはグランド・アベレージのこと)。
優勝:R・クールマン 9勝0敗 GA 1.276
準優勝:小方浩也 6勝2敗1分 GA 0.992
3位:L・M・マルティネス 6勝2敗1分 GA 0.906
4位:小林伸明 5勝4敗 GA 0.995
5位:A・ギルバート 5勝4敗 GA 0.809
6位:樫木繁樹 4勝4敗1分 GA 0.845
“神様”クールマン選手が9戦全勝で、なおかつGAもただ一人1点を超えるというという圧倒的な強さを見せ、世界選手権7連覇を果たしました。また日本の3選手も準優勝、4位、6位という好結果を残しました。
ところで、南米代表として参加したスギミズ選手は日系二世の方で、両親は昭和のはじめに熊本からペルーに移住されたそうです(ご両親の日本名は「杉水」です)。
この2年前に世界選手権の日本開催が決定して以来、スギミズ選手は両親の祖国に絶対に行くという決意でペルー予選ならびに南米予選を勝ち抜きました。また、この世界選手権の終了後しばらく日本に滞在して、両親の故郷の熊本に訪れて親戚から大歓迎を受けたそうです。
ちなみに日本ビリヤード協会の専務理事を長らくつとめられた故・西尾学さんは、このときスギミズ選手本人から日本滞在の相談を受けて、住居や食事の世話などのサポートをされたそうです(西尾さんからそのエピソードをお聞きしたことがあります)。
また、上述の記事にも名前があった、日本ビリヤード協会の染谷祥二事務局長(当時)は、世界選手権の日本開催が決定したUMB総会から帰国した後、8月21日に急逝されました。まだ58歳の若さでした。
世界選手権の日本開催に奔走した染谷氏でしたが、この大会を目にすることなく他界されたのは、ビリヤード関係者にとっても大変無念であったかと思われます。
…………
このような世界選手権が開催されることは、日本のビリヤード史上初めてのことで、その意義や関係者の意気込みは『日本ビリヤード新聞』の紙面からもひしひしと伝わってきます。その後、日本では『世界スリークッション選手権』の第32回大会が昭和52年(1977年)に東京で開催され、スリークッションの『ワールドカップ』も1988年から1993年まで連続して日本で行われました。
このような世界選手権をあらためて日本で見てみたいものですが、昨今の情勢では実現するのはなかなか難しいでしょうね……。それでもI氏は首を長くして(?)その日が来ることを待ち望んでいます。
…………
I氏、ありがとうございました。
また来月、約半世紀前の5月の
日本ビリヤード界のニュースを
解説していただきます。
※日本ビリヤード新聞紹介記事一覧はこちら
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