〈BD〉55年前の6月→「200点ゲームの『挑戦試合』で小林伸明が新チャンピョンに」。【シリーズ・日本ビリヤード新聞 vol.10】

 

ビリヤード珍品コレクター」の

I氏(あいし)が所蔵している、

 

約半世紀前の月刊紙、

『日本ビリヤード新聞』から、

当時のビリヤード事情を読み解く

企画の第10回。

 

今回採り上げるのは

昭和42年(1967年)7月号(第27号)。

 

小方浩也選手と小林伸明選手

(ともに故人)という歴史的名手2名が、

 

200点というロングゲームで覇を競った

『全日本3クッション選手権挑戦試合 』

という当時の特別な大会の模様を

報じています。

 

…………

 

I氏・記:

 

ビリヤードをこよなく愛する皆様、こんにちは。今回は1967年6月のビリヤード・ニュースを紹介します。

 

上の画像は当方が所有している『日本ビリヤード新聞』昭和42年(1967年)7月号(第27号)の一面記事の写真です。 

 

その見出しには、

 

『小林伸明新チャンピョン誕生

全日本3クッション選手権挑戦試合』

 

とあります。

 

この時代には、『全日本スリークッション選手権“挑戦試合”』という特別な大会が開催されていました。今回はこの試合の背景と、その結果についてご紹介しましょう。

 

…………

 

『全日本スリークッション選手権』は、昭和13年(1938年)から現在まで続いている、わが国で一番歴史のあるビリヤードの公式試合です。

 

その一方で、日本のキャロム界の最高峰とも言えるこの大会の優勝者が、あらためて防衛戦を行うという、「選手権」とは別の「挑戦試合」が存在していました。

 

I氏が所有している資料からはその歴史は明らかではないのですが、おそらく昭和30年代から開催されていたものと思われます。

 

さて、この挑戦試合ではその年の『全日本スリークッション選手権』の優勝者、準優勝者をそれぞれチャンピョン、挑戦者とみなして対戦させるのが常でした。

 

昭和42年(1967年)4月に開催された『第23回全日本スリークッション選手権』では小方浩也選手が優勝し、また小林伸明選手が準優勝でしたので、この両者が挑戦試合で再び顔を合わせることになったのです。

 

挑戦試合はこの年の6月14日、15日に大阪市の大阪南美術会館特設会場で開催されました。フォーマットは200点ゲームで、一方の選手が100点を超えたイニングでその日の試合はいったん終了となり、翌日に試合を続けるという2日にわたるロングゲームでした。

 

ちなみにこの時代のスリークッションの試合形式は、例えば『世界選手権』では60点ゲームの総当たり戦でした。この挑戦試合のように、チャンピョンがチャレンジャーを相手に防衛戦を行い、それも200点の試合を2日がかりで行うというのは、イベント的な要素の強い試合でしたが、日本ビリヤード協会が主催するれっきとした公式試合だったのです。

 

なお、この試合はやはりビリヤード関係者の注目を集めていたようで、『日本ビリヤード新聞』でも開催前の昭和42年(1967年)6月号(第26号)でその予想記事を載せています。

 

まず、小方選手を次のように評しています(原文ママ、以下同じ):

 

『大豪十四回の優勝歴を持つナンバーワン小方は今更いうまでもなく、今日までに数々の挑戦試合に対してただの一回も敗戦の記録を持たず、安定不動の地位を自らが築いて来た。 (中略) 「小方老いたり」ということはその容貌の成せるところによるのみ、今や完成された技、円熟された試合運びは五十二才を数える今彼こそ我が国3Cの権化と云うべきである。』

 

この年に全日本選手権14回目のタイトルを手にした、キャロムの第一人者を絶賛しています。

 

一方、挑戦者の小林選手については次のような評価をしています:

 

『挑戦する小林は、小方の年令の丁度半分の若干二十六才を数える気鋭の新人ホープである。球歴未だ十年に満たずして、すでに本戦には立派な成績を残しているが、いつも息切れ症状を呈してファンを口惜しがらせて来た。』

 

最終的には、次の記事のように勝敗の行方は小方選手が優位であると予想しています:

 

『長年のキャリアと動じないマナー、また練習を忘れない大豪小方が崩れてマットに沈むとも考えられない (中略) 敢えて試合運びで押し進めんとすれは小方の好餌となる。好漢小林の健闘を切に望みたい。』

 

挑戦試合の予想を論じた『日本ビリヤード新聞』昭和42年(1967年)6月号(第26号)の記事
挑戦試合の予想を論じた『日本ビリヤード新聞』昭和42年(1967年)6月号(第26号)の記事

 

ちなみに、このような“挑戦試合”はこの時代には他の選手権でも行われていました。例えば『全日本四つ球選手権』や『全関東スリークッション選手権』などでも、その年の優勝者に対する挑戦試合が行われていました。

 

また、試合得点数の多いスリークッションの公式戦は他にもありました。昭和30年代後半から創設された「名人位」というタイトル戦では、昭和43年(1968年)の第2期の挑戦試合で、300点ゲームを100点ずつ、静岡、東京、大阪で開催した記録も残っています。

 

挑戦試合の様子を伝える『日本ビリヤード新聞』昭和42年(1967年)7月号(第27号)の記事
挑戦試合の様子を伝える『日本ビリヤード新聞』昭和42年(1967年)7月号(第27号)の記事

 

さて、この年の『全日本スリークッション選手権挑戦試合』の試合展開を紹介しましょう。

 

初日の6月14日には試合開始に先立ち、関係者の祝辞や優勝旗の返還があり、前試合として小森純一選手と五内川征司選手による25点の試合が行われました。そしてようやく小方選手と小林選手の試合が、小林選手の先攻で始まりました。

 

序盤は小方選手が好調で、29キューで51点の得点を重ねて休憩に入りました。このとき小林選手は36点どまりでした。休憩直後も小方選手の調子は衰えることなく、50キューで74点と、小林選手に20点の差をつけました。

 

しかし小林選手は焦ることなく淡々と当て続け、一方で小方選手のプレイに乱れが生じてきて74キュー目でついに小林選手が逆転しました。結局、小林選手が80キュー目に101点に達し、初日の試合を終えました。ちなみに小方選手は95点でした。またこの日の試合は14時26分に開始され、途中で15分の休憩を入れて18時40分に終了しました。

 

2日目の試合は、まず前試合として今井茂選手と吉原良男選手の25点ゲームが行われました。そしていよいよ挑戦試合の続きが14時13分に始まりました。

 

しかし最初はおたがい様子見の状況で慎重な試合運びを行ったようで、90キュー目で小林選手が110点、小方選手が105点、100キュー目で小林選手が120点、小方選手が116点でした。結局、お互いに一方的なリードをすることなく130キュー目に小林選手が155点、小方選手が144点で休憩に入りました。

 

その後に小方選手が調子をあげてきて、一時は小林選手に1点差まで近付きました。しかし小林選手は141~150イニングで19点を挙げる一方で、小方選手はこの10イニングで連続無得点だったこともあり、小林選手優勢の流れが出来上がってしまいました。

 

小方選手は終盤の151~160イニングで17点をたたき出すもすでに時遅しといった感じで、最終的に163キュー、200―180のスコアで、小林選手が新しい選手権者になりました(途中で30分の休憩をまじえて、18時45分に勝負が終りました)。

 

挑戦試合の10イニングごとの得点経過を報じた『日本ビリヤード新聞』昭和42年(1967年)7月号(第27号)の記事
挑戦試合の10イニングごとの得点経過を報じた『日本ビリヤード新聞』昭和42年(1967年)7月号(第27号)の記事

 

試合前の下馬評とは変わって、若手の小林選手が日本のキャロム界の至宝ともいうべき小方選手に勝利したのは、世代交代が徐々に起こっていることを実感させたのではないでしょうか。

 

なお、この後の8月23日、24日に、新チャンピョンの小林選手に全日本選手権3位の厨川孝選手が挑む「挑戦試合」の第2戦が東京の目黒パークレーンズ会館で行われ、200-124の大差で小林選手が“初防衛”を果たしました。

 

小林選手の「初防衛」を伝える『日本ビリヤード新聞』昭和42年(1967年)9月号(第29号)の記事
小林選手の「初防衛」を伝える『日本ビリヤード新聞』昭和42年(1967年)9月号(第29号)の記事

 

…………

 

我が国のキャロム界では『全日本スリークッション選手権』、ポケットビリヤード界では『全日本選手権』がそれぞれ一番の歴史があり、もっとも代表的な公式試合と言えるでしょう。それだけ重みのある大会は、別の試合とは違う重厚な雰囲気があると、参加する選手は口をそろえています。今回、紹介したような挑戦試合が公式に行われること自体、全日本選手権の持つ意味の大きさを物語っています。

 

『全日本スリークッション選手権』は第二次世界大戦中とその戦後に、また2011年には東日本大震災の影響で中止されたことがありました。さらに2020年には新型コロナウィルス蔓延のために、両方の全日本選手権が中止となってしまいました。大会中止は非常に残念な決定ではありますが、このような不測の事態が起こっても、日本を代表する歴史ある選手権がこれからも長く続くことを、I氏はビリヤード関係者の一人として強く望んでいます。

 

…………

 

I氏、ありがとうございました。

 

また来月、約半世紀前の7月の

日本ビリヤード界のニュースを

解説していただきます。

 

※日本ビリヤード新聞紹介記事一覧はこちら

 

………… 

 

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