〈BD〉「追悼デイブ・ジャコビー」――Detective “K” season7 episode15 

 

私の名はDetective K。

ビリヤードキューの調査を引き受ける探偵だ。

 

キューケースメーカー、

ジャック・ジャスティス(Jack Justis)、

 

そしてキューメーカー、

ジョス(Joss)の創業者、

ダン・ジェーンズ(Dan Janes)

の訃報を伝えたが、

 

今度は2023年7月19日(現地時間)

キューメーカー、

ディヴ・ジャコビー(Dave Jacoby)の

訃報が届いた。享年75。

 

追悼が続くが、

BD読者に伝えないわけにはいかない。

 

なぜならオレ自身、

30年近く世話になっていたためだ。

BD、わかってくれるな。

 

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ディヴ・ジャコビー(Dave Jacoby)。2000年のエキスポで撮影
ディヴ・ジャコビー(Dave Jacoby)。2000年のエキスポで撮影

 

ディヴ・ジャコビーは1947年、

ウィスコンシン州ウィスコンシン・

ラピッズの生まれ。

 

シャフト材に使われる

カナダやアメリカ中西部産の、

良質なメイプルの産地に近い街だ。

 

ビリヤードを始めたのは12歳。

地元の製紙会社に勤め、

社会人となった後も、トーナメントや

リーグ戦でプレーしていた。

 

ディヴとキュー製作の関わりは、

修理やメンテナンスから始まった。

 

リーグ戦のチームメイトのキューの

タップ交換を手がけたのを最初に、

徐々にプレイヤーたちから、

より手間のかかる修理を

依頼されるようになった。

 

やがてそれは趣味の域を超え、

1982年、ディヴは35歳で副業として

「ディヴス・キューサービス」を

長男のシェーン(Shane)とともに設立。

自宅の地下室が作業場となった。

 

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キューの修理だけでなく

キュー製作に興味を持ったディヴは、

近隣のキューメーカー、

ヴァイキング社から中古の旋盤を購入。

 

次男のブランドン(Brandon)も

加わり試行錯誤。

 

1983年に最初の1本を完成させ、

パートタイムのキューメーカーとして

スタートを切った。

 

1986年にシェーンは、アメリカ陸軍に

入隊し、キュー製作から離れる。

 

その後はブランドンが

キュー製作を手伝い続けた。

 

映画『ハスラー2』のブームにより、

キューの需要が飛躍的に伸びた

時期とも重なり、1988年には

「ジャコビー・カスタムキューズ」と改名。

 

1992年には、

ディヴは約30年勤めた製紙会社を辞め、

家族と数人のスタッフを雇い、工房を開設。

本業としてキュー製作に専念した。

 

******

 

オレが初めてジャコビーキューを

目にしたのは、1993年10月に

メリーランド州ボルチモアで行われた

『アメリカン・キューメーカーズ・アソシエーション』

(ACA)主催のショー。

 

ディヴは表情も口調も穏やかで、

当時のキューは彼の性格そのまま。

 

よってどんなデザインだったか、

全く記憶はない(苦笑)。

まぁ、オレもまだ駆け出しで、

見る目がなかっただけだ。

 

その数年後には、

『スーパービリヤードエキスポ』の

ジャコビーキューのブースには、

多くのプレイヤーが集まって、

人気の高さを実感するようになった。

 

やがて1998年にはショールームも

兼ねた3倍もの広さを持つ工場に移転。

 

さらに地元の工科大学に親子で入学し、

旋盤の操作やコンピュータ制御機械の

技術を専門的に学び直した。

 

そして、年間千本近くを生産する

中堅メーカーにまで成長した。

 

******

 

ブースを飾るジャコビーキュー。ラインナップは幅広い
ブースを飾るジャコビーキュー。ラインナップは幅広い

 

ジャコビーキューは

トレードショーやエキスポ、あるいは

アマチュアトーナメントに至るまで

積極的に出展。

 

「多くのプレイヤーから直接意見を聞き、

将来のキュー製作に反映したい」

というのがその理由だ。

 

ラスベガスで行われる

『APAナショナルトーナメント』や、

フィラデルフィアで行われる

『スーパービリヤードエキスポ』に

参加すれば、

必ずジャコビーのブースを目にする。

 

ディヴはプレイヤーが集まる

イベントの雰囲気が好きで、

いつもトーナメントエリアが見渡せる

場所を選んでブースを構えていた。

顧客が多いのも当然だろう。

 

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超高級モデル。エクステンションやジョイントプロテクタまで凝っている

 

 

2010年代に入ると、

ジャコビーは他の高級カスタムメーカーの

モデルに対抗しうる、超高級モデルを

手がけるようになった。

 

その製作を主導したのは、

主に息子のブランドン・ジャコビーだが、

製作時間と価格を考えれば必ずしも

プラスになるとは限らないチャレンジを認め、

応援したのはディヴだ。

 

高度な工作機械を導入し、

高価な銘木や貝などの天然素材をふんだんに

用いて製作された一本物のキューは、

コレクター筋もうなるほど。

 

あの大原秀夫UK Corp.代表が購入したのも、

そのレベルと挑戦する姿勢を認めたからだ

(※大原氏が所蔵する『The Sultan』の

紹介記事はこちら)。

 

ACAの役員としてスピーチするディヴ。2012年のエキスポにて
ACAの役員としてスピーチするディヴ。2012年のエキスポにて

 

一方ディヴは、

アメリカン・キューメーカーを

とりまとめるACAの役員にも選出され、

キュー製作以外の面で多忙となった。

それ自体、彼に対する

キューメーカーたちからの信頼の証といえる。

 

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跡を継ぐのは、次男のブランドン・ジャコビー
跡を継ぐのは、次男のブランドン・ジャコビー

 

2020年代に入ると、

新型コロナの影響により

ディヴには数年間直接会えなかった。

 

その間に体調に変化があったのだろう。

 

2023年6月末、すでに先が

あまり長くないと本人も理解した上で、

家族や親戚、多くの知り合いを集めて

ディヴを囲む会が開催された。

 

SNSでメッセージを送れば、ディヴ本人に

直接伝えると知ったのがその会の直前。

 

オレなりの感謝の言葉を送ったが、

返事はなくとも、

もし読んでもらえたのなら幸いだ。

 

本人の遺言により、

葬儀は行わずに、ディヴを偲ぶ会が

8月18日に催されるとの事。

いかにも彼らしい配慮だ。

 

もちろんジャコビーキュー自体は

今後もブランドンを中心に製作されてゆく。

ディヴのご冥福をお祈りする。

 

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