〈BD〉「(株)アダムジャパン 高平睦生代表取締役会長 追悼」――Detective “K” season8 episode04

高平睦生氏。2013年撮影
高平睦生氏。2013年撮影
アダムジャパンの看板商品、ハイエンドキュー『MUSASHI』(ムサシ)。上の画像で高平氏が手にしているのは画像一番下のモデル
アダムジャパンの看板商品、ハイエンドキュー『MUSASHI』(ムサシ)。上の画像で高平氏が手にしているのは画像一番下のモデル

 

私の名はDetective K。

ビリヤードキューの調査を引き受ける探偵だ。

 

今回は2023年9月30日、

85歳で亡くなられた

(株)アダムジャパン

高平睦生代表取締役会長を追悼する。

 

その功績は、日本だけでなく世界の

キュー製作史に永く記憶されるべきもの。

 

オレが知ることは多くないが、

その軌跡を紹介したい。

 

少々長いが、異論はないな、BD。

 

******

 

オレが高平氏と初めて会話したのは

2000年。

 

某雑誌企画としてアダムジャパンに

2日間、体験入社した際だ。

 

当時高平氏は取締役社長。

 

明るい笑顔でスタッフと

気軽に話し合う姿が印象的だった。

 

以来、新製品が発表される度に工場を訪れ、

時には食事に誘っていただき、

新開発した構造やデザイン、シャフトなど

実に多くの話を聞く機会に恵まれた。

 

経営者ならではの幅広い人脈と、

常に生まれる新しいアイディア、

時折見せる職人気質、そして何より

快活かつ豪放磊落な人柄に魅せられ、

尊敬していた。

 

亡くなられる直前の9月19日まで

仕事をされており、最期まで

「キューメーカー」を貫いたのだ。

 

******

 

セレモニーホールのロビーに掲示された高平氏の功績を記すパネル
セレモニーホールのロビーに掲示された高平氏の功績を記すパネル

 

高平氏は1937年12月生まれ。

ビリヤードキュー製作に

初めて関わったのは1964年。

 

関東では四つ玉全盛だった時代だ。

 

高平氏は東京都江戸川区の

山口木工(山口キュー)と、

千葉県松戸市の山重キューで

約4年間の経験を積んだ。

 

その経歴が買われ1968年、

日本の輸出商社とアメリカのビジネスマン、

デヴィッド・フォーマンが合弁で

埼玉県浦和市(現さいたま市)に設立した

(株)リーガルキュー製作所に転職。

 

そこで出会ったのが、

アメリカの若手キューメーカー、

リチャード・チャールズ・ヘルムステッター。

 

大学在学中からキュー製作に取組み、

数年後にはイリノイ州シカゴの

ナショナルチョーク社に雇われ、

キュー製作ライン立ち上げを指揮した、

経験豊富な若手キューメーカーだった。

 

ヘルムステッターは、自らが作った

キューを提示し、スタッフを驚かせた。

 

それは美しい種板(ベニヤ)が添えられた

4剣ハギと、真鍮より硬度があり、

手作業では削るのが難しい

ステンレススチールのジョイントカラーを

持ったキューだった。

 

「自分がそれまで作っていたものとは、

比べ物にならないほど上質なキューでした。

本当に作れるようになるのかな、

って思いましたよ」(高平)

 

しかし、種々の事情からリーガルキュー

製作所は事業継続困難に陥る。

 

そこで1970年3月、

ヘルムステッターが社長に就任、

入間市鍵山で改めて設立したのが

(有)アダムカスタムキュージャパン。

当然のように高平氏も移籍した。

 

アダム初代社長リチャード・ヘルムステッター氏(右)。左側はリチャード・ブラック夫妻。2009年撮影
アダム初代社長リチャード・ヘルムステッター氏(右)。左側はリチャード・ブラック夫妻。2009年撮影

 

設立後まもなく生産・販売は軌道に乗り、

数年後にはおよそ60ものモデルを揃えた。

 

「とにかく本数をたくさん作るので大変でした。

完成したら50本単位で箱詰めするので、

出荷するときは一箱重さ30キロに

なるわけです。重労働でしたね」(高平)

 

当時はニューヨーク州に設立された販売業者、

アダムキューカンパニーへの納品、

即ち「質が良く安いキューを

アメリカへ供給する」ことだけが使命。

 

そのため国内でアダムのキューを

目にすることは稀だった。

 

どれほど日本では無名だったのか、

有名なエピソードを紹介する。

 

******

 

1973年のある日、

ポケットの日本人プロが、埼玉県入間市の

(有)アダムカスタムキュージャパンを

尋ねてきた。

 

応対に出たのは、

当時はいちスタッフであった高平氏。

 

聞けば、アメリカに試合のため遠征し、

現地で買い求めたポケット用キューを

持参してきているという。

 

「アメリカでは、このようなキューが

売られているんだが、日本でも

同じようなものは作れないかな?」

とそのプロは持参したキューを差し出した。

 

高平は一目見ると

「ああ、それは……」と言って席をはずし、

奥から一本のキューを持ってきた。

 

「これのことですか?」

 

そのプロは驚愕した。

 

自らがアメリカで思い切って買い求め、

持ち帰ってきたキューと全く同じものが

目の前に出現したからだ。

 

「どうして、同じものがここにあるんですか?」

 

高平は笑いながら答えた。

 

「だって、それはウチで作って、

アメリカに輸出しているキューですから」

 

******

 

1970年代のポケットキューの高級モデル

 

 

1970年代前半、

関東では四つ玉が全盛の時代。

 

アダムのキューを国内でも売れないかと

考えた高平氏は、当時ヨーロッパ遠征も

経験していた小林伸明プロ

(故人。日本初のスリークッション

世界チャンピオン)にアドバイスを受け、

キャロム用キューを1973年に発売。

 

「質が良く安い」という特徴は

海外のバイヤーにとって魅力的で、

アダムの製品は欧州各国にも

行き渡るようになった。

 

一方、スヌーカーの母国イギリスでは、

カラーテレビの普及に伴いスヌーカーの

試合中継が増加し、人気が沸騰。

 

1976年、イギリスの用具販売会社から

増大するキューの需要に応えるため

スヌーカー用キューを受注。

 

高品質のスヌーカーキューは評判を呼び、

大量の注文を受けた。

 

「ポケットやキャロム用のキューに加え、

毎月千本作っていました」(高平)

 

工場も入間市善蔵新田に短期間移転した後、

入間市小谷田に移転して規模を拡大。

 

こうして1970年代末には、

アダムカスタムキュージャパンは

ポケット、キャロム、スヌーカーのキューを

「高品質にかつ安く」世界中に供給する

一大メーカーとなった。

 

******

 

キューメーカーとして大きく成長した

アダムカスタムキュージャパンだが、

輸出に依存していたゆえ、

常に世界経済の変動に影響されていた。

 

創業当時1ドル=360円の

固定相場制だったのが、

1973年ドルショックにより

変動相場制に移行すると、円高が進行。

 

1985年のプラザ合意により急激な円高となり、

1986年には160円まで進んだ。

 

円高は収益を圧迫し、

加えてアメリカにおける

ビリヤード人気も下降線をたどり、

ついに1986年、ヘルムステッターは

事業縮小を決意。

 

社長を辞任して日本を去り、

高平氏が代表取締役社長に就任、

社名も(有)アダムに変更。

逆風の中、新たなスタートを切った。

 

ところが1年後、

アメリカからの注文が急速に回復する。

 

******

 

1980年代の主力製品だった『86シリーズ』『87シリーズ』
1980年代の主力製品だった『86シリーズ』『87シリーズ』

 

1987年、

日本に空前のビリヤードブームが発生。

 

シャレた雰囲気でお酒と食事、

そしてビリヤードが楽しめる

「プールバー」が出現。

 

さらに映画『ハスラー2』の公開も重なり、

国内ビリヤード業界は空前の好景気に沸いた。

 

ところがアダムは

海外への輸出メインだったため、

国内でのブームは最初把握できなかった。

 

アメリカからの注文急増は、

キューを奪い合うように仕入れていた

日本の業者たちが、なんとアダムの

キューを逆輸入していたためだった。

 

「木材のストックにも限りがあり、

作れる数は決まっていますから、

そんなに忙しかった覚えはありません。

でも、『何でもいいから売ってくれ』と

工場に直接押しかけてくる人もいて、

困りました」(高平)

 

日本を覆ったブームに対して、

アダムは冷静だった。

 

******

 

ブームが終息した1990年代、

高平氏は「いかに曲がらないか、

いかに品質を安定させるか」

という研究開発に力を入れた。

 

シャフトを燻製にしたり、

油で揚げたりといった実験を

行っていたのも1990年代前半。

 

また、ジョイントの改良にも取り組み、

生み出したのが「ダブルジョイント」。

 

ジョイントカラーの内側にもネジを切り、

二つのネジで接合するこの構造は、

現在でもキャロムプレイヤーに

根強い人気がある。

 

さらには、素早い脱着を目指した

「ツインスクリュー」

 

よりタイトな結合を目指した

「トリプルジョイント」

 

軽量化を目指したチタン製ジョイントと

発展させていった。

 

しかし、1990年代半ばは

1ドル=79円まで進んだ超円高の時代。

 

日本国内だけでキュー生産を続けていては、

いかに品質が優れていても

いずれ行き詰ると危機感を抱いた高平氏は、

中国に合弁企業を設立。

海外でのキュー生産に踏み切る。

 

粘り強い技術指導により、

アダムは「安く品質の良い」キューを

再び販売できるようになった。

 

1999年には株式会社化し、

社名もアダムジャパンと変更。

 

さらに本社工場を現在の狭山市下広瀬に

移転し、より充実した設備で

研究開発や生産が行える環境を整えた。

 

******

 

製作途中のMUSASHIキュー。2013年撮影
製作途中のMUSASHIキュー。2013年撮影

 

2000年、

新生アダムジャパンになってまもなく、

木工品としての宿命である「曲がり」を

なくすための研究成果が2つ姿を現した。

 

ひとつは、バット製作に用いる木材を

4分割し、中心に別の木材を芯として入れる

「ムサシ」構造のキュー。

 

紫色の布袋に包まれ桐箱に入れられた

「ムサシ」は、国産高級キューとしての

ステータスを得た。

 

また、多様な木材が利用できる特性を生かし、

数千年前の神代木を使った

「JYOMON」(縄文)や、

屋久杉を使用した「屋久杉ストレート」

モデルもリリースした。

 

もうひとつはシャフト。

 

アダムジャパンはシャフト材の中心に穴を開け、

グラスファイバー製のパイプを挿入、

 

表面上はワンピースシャフトながら、

曲がりの防止と見越しの軽減を

両立させた製品を開発した。

 

シャフト材に長い穴を開ける工程は

ゴルフクラブ製作用の機械を応用したが、

それはアダムを去り、ゴルフメーカー、

キャロウェイ社副社長となった

ヘルムステッターと高平氏の交友が

続いていたからこそ実現できたもの。

 

A.C.S.S(Adam Center Core Super Shaft)と

名づけられたシャフトは、

ポケット・キャロム両方の

プレイヤーから大きな支持を得た。

 

高平氏は、2014年代表取締役会長に就任。

 

開発の第一線からは退くも、

趣味のゴルフを楽しみつつ精力的に活動。

 

2022年9月には関口貴啓取締役社長が就任し、

新体制となってさあこれからといった矢先、

突然の逝去だった。

 

******

 

2014年BCJ Hall of Fame受賞時。スピーチをする高平氏
2014年BCJ Hall of Fame受賞時。スピーチをする高平氏

 

最後に高平氏が語ってくれた、

アダムジャパンのキュー製作哲学を

いくつか紹介したい。

 

「アダムジャパンの製品は、大きな問題に直面した結果アイディアが浮かんできたものです。例えば『ダブルジョイント』は、キャロムキューの木製ネジが緩かったりきつかったりする、といった個体差に悩んで、『じゃあネジをふたつに増やしてみたらどうだろう』とひらめいたものです。『ムサシ』も『A.C.S.S』も、木の曲がりをなくすためには、ひとつの材料でだめだったら、複数を組み合わせれば良いじゃないか、と思いついたものです。追い詰められたときこそ集中力が増してひらめく、これが秘訣ですね」

 

***

 

「地球温暖化が進行している現在、キューを作るのに木を使い続けるのは良くないことかもしれません。だからこそ我々は、木を大切に使わなければならないと常に思っています。木を使っている限り『することはもうない』と思う時は決して来ないでしょうね」

 

***

 

「キュー生産は海外工場が主体になっても、アダムジャパンは日本独自の製作方法や哲学を保ち続けたいと思っています。人と人との関係を大切にすることで、ここまで来られたのですから、『安く作って売れれば良い』だけではだめです。キューを売ってお金をもらうだけではなく、アダムジャパンのキューを買ってくれた人に感謝し、感謝される。その気持ちを忘れず、信頼される製品をこれからも作り続けたいですね」

 

******

 

創立50周年記念MUSASHI。2020年撮影
創立50周年記念MUSASHI。2020年撮影

 

高平氏が歩んだ人生は、

日本のキュー製作現代史そのものと言える。

 

その哲学は、これからも

受け継がれてゆくに違いない。

高平氏のご冥福をお祈りする。

 

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