モハマッド・ジュナルト(小杉純一)

「伝説」の里帰りに見た衰えぬ情熱

2014年10月

 

「伝説」に彩られた選手である。

 

負け知らずの平場王、

外国トップとの大勝負で9連マス上がり、

プロとしても全日本選手権優勝……、

 

大阪生まれの小杉純一は強くてピュアだった。

 

それゆえ、ビリヤード道を追い求め

世界を渡り歩くことになった。

 

1996年にインドネシアに渡り、

ナショナルコーチを務めた。

 

2001年にはインドネシア人、

「モハマッド・ジュナルト」になり、

現地で所帯も持った。

 

その、小杉改めジュナルトが、

2014年秋、北陸オープンに出場。

無論、インドネシア人として。

 

実に22年ぶりの日本の試合。

その会場で初めて言葉を交わしたジュナルトからは、

勝負師の匂いがした。

 

 

取材・文・写真/BD

協力/Takuo Sasaki, VIVA2

 

…………

 

Mohamad Junarto

1955年・大阪生まれ

元の名前は小杉純一

1991年『全日本選手権』優勝など

国内での実績多数

1996年インドネシアに移住

同国のビリヤードナショナルコーチとなる

2001年同国国籍を取得

現在はジャワ島中部の都市、

ジョグジャカルタに妻子とともに暮らす

 

日本はテーブルコンディションが最高!


 

――今回は何年ぶりの来日ですか?

 

「2009年以来なので5年ぶりですね。その時は試合には出てません」

 

――では、日本の試合は何年ぶり?

 

「最後に出たのは1992年だったはずです。いや、1991年だったかな。だから、22年~23年ぶりということになりますね」

 

――今回はなぜまた日本の試合に出ようと思ったのですか?

 

「実は別の用事で来日することにしていたんです。そうしたらちょうど北陸オープンがあるとわかりましてね。『出たいな』と思いました。用事はキャンセルしてビリヤードに集中することにしました。この彼――マウラナ・ウィドド選手(※写真下)と一緒にね。彼はインドネシアでの私のスポンサーの息子さんなんです

 

――インドネシアから石川県までとなるとなかなかの長旅ですね。

 

「はい、飛行機も直行便じゃないのにしてしまったし、乗り換え待ちとか電車の時間とかも含めると30時間ぐらいは掛かってしまいました。丸一日以上移動だけしてたようなものです(笑)」

 

――いかがですか、久し振りの日本の試合は?

 

「もうテーブルコンディションが最高(笑)。ものすごく良いですよ。僕のいるインドネシアに比べると。このテーブルで撞くと、日本に帰って来たなぁという感じがしますね。今はインドネシアもそこそこ良くなりましたけど、やっぱり東南アジアですし、湿気が多くてベタベタになるんです」

 

――さすがに日本に来ると、周りからは「小杉さん」と呼ばれてるんじゃないですか?

 

「そうそう(笑)。もうこっちではみんなそうですね。向こうだと『ジュナルト』とか『パレ』(←タガログ語で「友達」。ジュナルト選手はインドネシアの前にフィリピンにいたため、そう呼ぶ人も多い)だけどね」

 

マウラナ・ウィドドと
マウラナ・ウィドドと

あの頃の大阪は強い選手がホントにたくさんいたと思う


 

――昨日来日したばかりですが、日本の選手の印象は?

 

「うーん、まだあまり観られてないからよくわからないですけど、どちらかというと、昔の方がしっかりした選手が多かったような……そういう印象ですね」

 

――昔の方が「しっかり」ですか。

 

「自分は昔大阪にいましたが、その頃は大阪に強い選手がホントにたくさんいたと思います。みんなしっかりしてました。例えば、藏之前忠勝さん、井上淳介さん、利川(章雲)くん、高橋(邦彦)くん、竹中(寛)くん、川端(聡)くん……そういった人達とよく撞いていたことを思い出します」

 

――錚々たる面々ですね。

 

「その時、そのビリヤード場で店員をしていたのが赤狩山(幸男)くんだったとかね(笑)。そういう時代だったんです。そんな話を、のちに僕がインドネシア代表、赤狩山くんが日本代表として、海外の試合に出てきた時に、彼とした記憶もあります。

 

 あとは……おーい、リニング(と近くにいたアントニオ・リニングを呼ぶ。リニングとかフィリピン人ともよく撞いたものです。僕はフィリピンに住んでた時期もあるので向こうでもね。リニングは僕の8つ下だから……もう51になったんだ(笑)。可愛いやつです」

 

後ろにリニングが
後ろにリニングが

今も15〜20時間ぐらいはぶっ続けで撞けると思います


 

――普段、インドネシアにいる時はどちらが拠点なんですか? そして、ビリヤードの練習はどのぐらいしているんですか?

 

「ジョグジャカルタという都市に家族で住んでいます。地元のビリヤード場で週に4~5回ぐらいは必ずキューを握っています。1回あたり6~8時間ぐらいです。以前から僕はインドネシアのビリヤード選手達のコーチもやっていて、そういう仕事と自分の試合とで、今もよく国内の移動はしています。こないだも国内のチャンピオンシップに出てきました」

 

――インドネシアはこの10年で強い選手が増えてきていますね。リッキー・ヤンとか。

 

「ああ、彼もそうだし、M・ズルフィクリとかもほとんど僕の教え子のようなものです。1990年代後半からですか。自分が教えるようになってインドネシアは強くなったと思います。インドネシアが『シーゲーム』などの国際試合でメダルを多く獲れるようになったので、それが嬉しいですね。自分も選手として出て金メダルを獲りましたよ(※2001年&2003年シーゲーム)」

 

――インドネシア国内は近年ずっとビリヤードが活況のようですね。

 

「はい、自分が住んでいるジョグジャカルタにも20台~30台規模のビリヤード場が14~15軒はあります。中には60台というお店もあります。ジョグジャカルタは学生の多い町だというのも関係あるでしょうね。よく流行ってます」

 

――現在59歳。試合での体力面などは以前と変わりはないですか? 今日(北陸オープン初日)も長丁場になると思いますが。

 

「それは全然問題ないです。向こうにいる時も今も元気です。体力は全然衰えてないですね。今も12時間ぐらいはぶっ続けで撞けると思います。いや、もっとイケるな。15~20時間は撞けます(笑)。ただ、テンボールのブレイクがね(苦笑)。2試合しましたけど、まだダメですわ。掴めてない」

 

――今回は何日間日本に滞在する予定ですか?

 

「北陸オープンが終わった後、3日間ぐらいはいます。何軒かのビリヤード場で球を撞いてから帰ります。11月にはインドネシアで大きな試合があるからそれに出る予定です。来年、日本にもまた来たいですね」

 

 

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