2010年の
「挑戦者決定戦」での敗戦から8年。
より強く、より円熟したプレイヤーと
なった丸岡文子(神奈川)は、
2018年の「挑戦者決定戦」、
そして「球聖位決定戦」で、
培ってきた経験の質と量を感じさせる
総合力に秀でたプレーを展開し、
第10期女流球聖に輝いた。
初タイトルが、
国内女子アマ最高峰の9ボールタイトル。
大仕事をやり遂げた新球聖に話を聞いた。
写真/JAPA
取材協力/ARROWS
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Ayako Maruoka
生年月日:1983年10月1日
出身・在住:神奈川県
所属店:『ARROWS』(神奈川県横浜市)
使用プレーキュー:EXCEED
所属連盟(クラブ):なし
ビリヤード歴:約12年
職業:自営業(ARROWS)
女流球聖戦参加歴:今年が5回目くらい
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――球聖位、おめでとうございます。
「初の全国タイトルなのですごく嬉しいです。今まで途中で自分が壊れて負けることが多かったので、今回は勝ち切れたということも嬉しいです」
――2日間で、9ボールの7ラック先取を10セット戦いました。疲労感は?
「全然疲れてなくて、むしろまだまだ撞けるなって(笑)。もともと私は24時間でも撞ける人なので、体力的には余裕でした」
――最高峰の舞台に対する緊張感は?
「初めはありましたけど、長丁場だったおかげで、少しずついつも通りの自分になれたと思います。土曜日(挑戦者決定戦)の第1セット以外、テンパることはなかったです。会場のマグスミノエさんも初めてではなく、8年前(2010年)の挑戦者決定戦と、3年前の『大阪クイーンズオープン』で撞いているので、環境に緊張することもありませんでした」
――テーブルコンディションは?
「新ラシャでの試合経験が少ないので、やっぱり新ラシャは難しかったです。シュートやポジションはなんとか対応出来るかなと思ったけど、空クッション、特に1クッションは難しいだろうと事前から思ってたし、本番はやっぱりそうでした。ただ、大会前に自分の店(神奈川『ARROWS』)でラシャを張り替えて、旦那さん(JPBA丸岡良輔プロ)に教わりながら練習出来たことと、本番前日に試合テーブルでクッションの練習をしたことが功を奏したと思います」
――まず、土曜日(挑戦者決定戦 vs 永岡さつき選手・愛媛)のことをお聞きします。第1セットを落としました。
「静かで張り詰めた空気にまだ慣れてなくて、自分でも何をやってるのかわからなくなってました。全く自分のペースで撞けず、球は入らないし、入っても出ないし……(苦笑)。第1セットを失い、休憩時間に旦那さんを始め周囲から、私がどれだけ雑に撞いていたかをめちゃくちゃ言われ(笑)、『そうだったのか』と。自分では単に肩が温まってないだけだと思ってたんですけど、メンタルにきてたんですよね。でも、皆に叱られたことで、落ち着きを取り戻しました」
――第2セットから3連取しましたが、カギになったのは第3セットでしょうか。最終的に7-5で取りましたが、展開が読めないセットでした。
「そうですね。第3セットを取れたのは運が良かったです。私が4-0でリードしましたけど、永岡さんが難球でも何でも入れて追い掛けて来たので完全に圧倒されちゃって。4-3の時(第8ラック)、5番で回って来たんですが、もう私は肩が冷えてて手球が合ってなくて、8番から9番にちゃんと出せなかった。結局9番をサイドに狙ったら外れて、ラッキーでコーナーへ入ってくれた。あのフロックで5-3になって、一気に展開が私に向きました。もし4-4にされていたら、全くどうなるかわからなかった。もうホント、あの9番はラッキーだったと思います」
――第4セットも取り(7-2)、挑戦者になりました。
「東のA級戦で当たった方々、そして永岡さん。『皆の思いを背負って行くんだ。明日も頑張ろう』という気持ちになりました。8年前は若かったから、負けたことが熱すぎて、挨拶だけはしましたけど、パッといなくなっちゃって(苦笑)。それがずっと心残りでした。当時に比べたら人間的にも成長出来たのかな。挑戦者という立場の重みも自覚出来ていて、全力で球聖に立ち向かえる状態でした」
――そして、日曜(球聖位決定戦 vs 中村舞子選手・長崎)。また第1セットを失います。
「前日の第1セットを反省してるので、前日に比べたら落ち着きもあって悪くない状態でした。でも、さすがは球聖というか、展開は完全に中村さんでしたね。1年間球聖として戦っている人は気持ちや姿勢がこうも違うのかと。ただ、きっと厳しい展開になるだろうという想定はしていたので、第1セットを落としたのはショックではなかったです」
――第2セットから3連取しました。
「メンタルが揺れてなかったことが良かったです。自分のやるべきことは出来るはずだし、出来たら取り切れるって信じてました。自分の状態がすごく良かった訳ではないんですが、『回って来たら取れる』という精神状態でいられたおかげか、展開もそんな風になっていたと思います」
――丸岡選手がセットカウント3-1でリーチをかけて迎えた第5セットは、中村選手が取りました。
「始まる前に『まだ終わりじゃない。絶対に相手は諦めてない。でも、私はここで上がり切るぞ』と自分に気合いを入れて挑みました。思った通り、中村さんがしっかりキューを出してくる一方で、私はいろんなことを意識してしまったのか、ストロークは硬いわ、ブレイクスクラッチはするわで、そこまでの流れが途切れた感じはありました」
――セットカウント3-2で第6セットを迎えました。
「第5セットでのミスの原因は、球以外のことを考えすぎてしまったことにあると思ったので、第6セットはテーブルのことだけに集中するようにしました。そうしたら悪い緊張がなくなり、また自分の球撞きが出来るようになったと思います」
――第6セットは1-4ビハインドから7-4で逆転勝利。最後はフリーボールで1番から取り切り。ポジションが楽になっていかない配置でした。
「『必ずこれを取り切る!』という気持ちでテーブルに向いました。6番を難しくしてしまい、エクステンション(時間延長)も使ってしまったけど、やることは決まっていたので、あとはそれをやるだけだと気持ち良く心を決められた感じです。あの6、7、8の3球はガッツ出しましたね(笑)」
――ゲームボールを入れた時に思ったこととは?
「『やった!』というのもありましたけど、『来年、挑まれる立場になるんだな』ですね。球聖戦は、目標にされる側になる方がよっぽどキツイと思います。だから、気の早い話ですけど、『来年、防衛しなくちゃいけないんだ』っていう気持ちが勝ってました」
――2日間のプレー内容に点数を付けるなら?
「60点ぐらいです。私はいつも朝イチがダメで、それがそのまんま土曜日の第1セットに表れてました。あれが普通の大会なら、いちコケ(1回戦負け)で終了してます(苦笑)。危機感がなさすぎるんだと思います。それと、判断ミスもありました。例えば、日曜日の最終セットでは、絶対にセーフティをするべき場面で、そのためのポジションもしたのに、どうしても入れたい気持ちを抑えられなくなってしまい、攻めたら手球が隠れたということもありました。その辺りのメンタルコントロールはこの先も課題です」
――そんな場面もあったとはいえ、全体的に攻守の的確なショット選択が光っていたと思います。丸岡選手は『入れが強い』イメージでしたが、セーフティを選ぶのも抵抗がないですか?
「はい、全然ないです。むしろセーフティは守りではなく攻撃。相手にチャンスを回さずに勝ち切る手段だと思ってます。上手く撞けたらの話ですけど(笑)。あと、自分でも戦い方は大人になったなと思います。私は12年選手ですけど、やっぱりビリヤードは10年ぐらいやって、いろんな経験をしないと勝てないんじゃないかなって最近よく思います。技術、頭と心の使い方、場数……10年ぐらい経つと、そういったものが揃ってくる。それが試合での落ち着きや冷静な判断のもとになるんじゃないでしょうか。だから、お店をやってる身としても、『お客さんに10年はハマってもらうようにしたいないぁ』って思います」
――1年後の防衛戦に向けて、どんな準備をしておきたいですか?
「基本的にはこれまでと同じですね。子育てもあるので出られる数には限りがありますけど、一つ一つの試合を大切にしていき、実戦経験を積みたいです。そして、試合に出る以上はどんな時も自分自身に対して後ろめたいこと……『負けそう』とかを口にしないようにしたい。そうやって『粘り』を身に付けたいです」
――最後に、応援してくれた方々へのメッセージを。
「一人じゃここまで来られなかったと思うので、皆さんに感謝しています。応援してくれる人がこんなにいるんだということに驚いていますし、これからも変な球は撞けないなと思ってます。会場では応援団にすごく叱られたけど、ビリヤードは一人じゃ上手くなれないんだなって心から思ってます。本当にありがとうございました」
(了)