女子タイトルを手にしたのは
プロ14年目の佐藤麻子。
青森・弘前を拠点に活動する
「無冠の実力派」が、
初めてプレーした
ニューピアホール特設会場で
「無我夢中で1球1球に向き合い」、
遂に大輪の花を咲かせた。
初勝利を叶えたこと。
それがジャパンオープンだということ。
それ以上に佐藤が嬉しく思うのは、
当日会場に駆けつけてくれた
敬愛する師匠に優勝する姿を
直接見てもらえたことだった。
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↓優勝を決めたラストラック映像
――優勝から数日経ちました。勝利の実感は?
佐藤:試合直後はほとんど実感がなかったんですけど、今までに経験したことがないぐらいたくさんのお祝いのメッセージをいただいて、そして自分のお店(青森『SEED』)に帰って来てからも多くの方に祝福していただいて、少しずつ実感が湧いてきました。でも、今もまだ「夢なんじゃないか」という気持ちもあります(笑)。
――ゲームボールを入れた後、キューを高々と掲げていました。自然に出たアクションだったのでしょうか。
佐藤:実は私のお師匠さんである北谷一郎さん(元JPBAプロ。1995年ジャパンオープン男子準優勝者)が、私が決勝日(4強)に残ったということで、当日朝の新幹線で仙台から奥様と一緒に見に来てくださいまして。もし勝つことができたら、まず師匠の方に向いて何かしたいなという気持ちがあって、それが自然とあんな形で出ました。私があの場に立てるだけの力を付けられたのは師匠のおかげなので、師匠に優勝の瞬間を見てもらえて嬉しかったです。
――2日間を振り返って自身のプレーの評価は?
佐藤:反省点とよく出来たかなと思えるところ、両方あります。反省点はやっぱりミスをたくさんしたことです。シュートミスもそうですし、セーフティミスがすごく多くて。単純に今の自分に足りてないものがそのまま試合に表れていたと思います。特にセーフティは普段の練習でもまだ補えてないなと実感しました。
――「よく出来た」という部分は?
佐藤:今まで試合では普段練習していることが出せずに負けてしまって悔しい思いをしてきました。ですので、「普段の練習の成果を発揮する」ということを目標として臨んだんですけど、それは出来たかなという手応えもありました。
――100点満点で点数を付けるとすると?
佐藤:優勝という結果は満点ですけど、内容は見直すところが多々ありますので、80点ぐらいでしょうか。練習してきたことは割と出せましたが、失敗もたくさんしたのでそのぐらいになると思います。
――決勝会場のニューピアホールで初めて撞きました。いかがでしたか?
佐藤:毎年先輩方が撞くのを見る側でしたが、今年は自分がプレーする側になれて「普段できない経験を今してるんだ」と感じていました。私は『全日本選手権』(2013年)をのぞくと特設会場で撞いたことがほとんどないので、「こんな素晴らしい舞台で撞けるなんて」と感動していました。
――テーブルコンディションにはすぐ適応出来ましたか?
佐藤:ダイヤモンドテーブルで撞くのが初めてだったので、試合前はどんな感じなんだろうって思ってたんですけど、実際に試合が始まったらそれどころではなくて……(苦笑)。もう本当に無我夢中で目の前の球を入れて出すことしかできなくて、コンディションに対応できていたのかどうか自分でもよくわからないです。少なくとも「対応できていた」とは言えないです。
――ニューピアホールでの1試合目が準決勝(vs 河原千尋)。落ち着いて撞いているように見えました。
佐藤:バンキングを取れて1ラック目でマスワリが出せたことが大きかったと思います。あれがその後の自分のプレーに自信を与えてくれたというか、「行けるぞ」みたいな気持ちになれました。まず、良いスタートを切れたことが一番ですね。その後、中盤から終盤にかけてもめぐり合わせが良くて、点数に繋げられたというのも大きかったです。終始自分のプレーを崩すことなく行けた感じはします。
――そして、特設会場で初めて決勝戦(vs 平口結貴)を撞きました。緊張感は?
佐藤:準決勝からずっと緊張していて、決勝戦でも同じぐらいの苦しさを感じながらプレーしてました。試合では楽に思える時はなく、いつもそういう感じです。それに加えてああいう素晴らしい舞台ですので、別の意味での緊張もありました。
――取って取られての接戦で、互いにミスもありました。苦しい時間帯にどうやって気持ちを整えていましたか?
佐藤:中盤でミスが続いた時に「一旦切り替えなきゃ」と思ってました。それで、相手に2つ取られて5-5に並ばれた時にタイムアウトを取って、自分の目標をもう一度確認しました。「今まで練習してきた成果を発揮する」こと、そして「迷いをなくして撞く」こと。「それに尽きる。思いっきりやろう」。そうやってもう一回自分の気を引き締めて終盤戦に臨むことができたと思います。
――6-5で佐藤プロがリーチをかけて迎えた第12ラック。ブレイクで1番と7番が入りました。取り出しの2番はセーフティミスでしたか?
佐藤:そうです。もっと2番に厚く当てて2番を短クッションの真ん中ぐらいに運びたかったんですけど、ものすごく薄く当てちゃって2番が丸見えになりました。あの辺がやっぱりすごくセーフティが下手だと感じます。
――その後、相手が2番と3番を入れて4番でミス。残り5球で撞き番が回ってきました。
佐藤:もう「絶対取り切りたい」と思ってました。撞き番が回って来るのはこれが最後かもしれないという思いもあったので。
――イメージ通りに取れましたか?
佐藤:取れました。でも、4番から5番は少し出しミスしています。6番へのポジションを考えると、5番にもうちょっと薄く出したかったですけど思ったより厚く出てしまった。結果、5番が勝負ショットというか、外れてもおかしくないぐらいスピードを上げて撞かないといけなくなりました。かなり迷いましたが、上手く撞けたと思います。
――最後の2球、8番と9番が並んでいて8番の厚みがよくわからなかったのですが、問題なくコーナーに狙える形だったのですね。
佐藤:あんなふうに8番に対して右フリを付ければ普通に撞ける球でした。でも、逆ヒネリ(撞点:左上)を使わないと、手球がセンター方向へ転がって9番が遠くなってしまいます。そんなゲームボールを撞くのは嫌だったので、ヒネリを入れてより近くに出しに行きました。ほぼ思った通りのところに出せましたけど、ゲームボールを外して負けたことが何回もあるので最後まで気は抜けなかったです。
――プロ14年目での初タイトルがジャパンオープン。「優勝」の二文字は長年意識していたのでしょうか。
佐藤:ずっと「トーナメント優勝」を目標にして活動してきました。でも、それをジャパンオープンで達成できたのは自分でも「まさか」という気持ちです。師匠の北谷さんのジャパンオープンでの最高成績が準優勝で、北谷さんは「僕の雪辱を果たしてくれてありがとう」と喜んでくれたので、こういう形で恩返しが出来て本当によかったなと思っています。
――2009年のプロ入り以降、試合にほとんどあるいは全く出てない年もあります。これは自身でビリヤード場を営んでいるからですか?
佐藤:はい。プロになってはじめの4、5年は試合に出られていたんですけど、2013年に自分でお店を始めて4年ぐらい専念していたので、その間はほとんど試合に出られなかったです。
――弘前市は豪雪地帯ですし、冬は遠征にも出掛けにくいですね。
佐藤:そうなんです。例えば、『関西オープン』は毎年出たいと思っていますけど、例年1月末頃の開催なので難しいです。その時期はほぼ一日中雪かきをしている生活で(笑)、ビリヤードと向き合える時間も少なくなってしまいます。でも、それは私だけではなく、東北の選手は皆さん同じ様な状況だと思います。来年(2023年)の関西オープンにはなんとか出たいと思っていますが、まだ確定とは言えない状況です。
――今後の展望や目標とは?
佐藤:一つの区切りとして優勝という目標は達成できましたが、それで私のビリヤードが変わる訳ではないですし、足りない部分はまだまだありますので、自分のビリヤードともっと向き合って、まだまだ上を見て、もっと練習して力を付けて試合に臨みたいと思います。
――応援してくれた人達へ一言お願いします。
佐藤:ビリヤードを始めてから今まで何回もくじけて何回も諦めかけて、また頑張ってまたくじけて……の繰り返しでしたが、そのたびに多くの方々が応援してくれて支えてくれました。そんな皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。そして、目標であり続けてくれた先輩方や私が勝手にライバルだと思っているプロの方々にもとても感謝しています。そして最後に、優勝につながる力を私に与えてくれた師匠の北谷一郎さん、本当にありがとうございました。
(了)
佐藤麻子 Asako Sato
1979年10月26日生
青森県出身・青森県在住
JPBA43期生(2009年プロ入り)
2022年『Japan Open』優勝
他、入賞多数
プレーキュー:『TAD』。シャフトはノーマル
使用タップは『ZAN ハイブリッドマックス』
ブレイクキュー:Black Jack
ジャンプキュー:Black Jack
専属:『Hirosaki Super Shot SEED』(青森県弘前市)
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