1週間前の『女流球聖位決定戦』と同じく、
フルセットのフルラック。
トータル約11時間の熱闘の最後には
思いがけない結末が待っていた。
2017年4月16日、
アマNo.1ナインボールプレイヤー決定戦、
『第26期球聖戦』の「球聖位決定戦」。
3年前と立場は逆転していたが、
大坪和史vs喜島安広というカードは同じ。
そして今回も3年前と同じく、
フルセットのフルラックにまで及ぶ
竜虎相搏つ好勝負となった。
結果だけを見れば、
勝った喜島が「奪還」で、
敗れた大坪が「失冠」ということになるが、
あの11時間、ギャラリーや視聴者は
そんなことも忘れて、両者のダイナミックな
9ボールを純粋に楽しんでいたのではないか。
球聖戦史上最多の「在位5期」となった喜島に、
復位の翌日に話を聞いた。
…………
Yasuhiro Kijima
1983年1月7日生 埼玉県出身・在住
所属:『セスパ東大宮店』、『5&9(ともに埼玉)』、SPA
プレーキュー:オリビエ
ビリヤード歴:約19年
主なタイトル:
『第19期~第22期、第26期球聖位』
他、現存する「アマ個人全国タイトル(計6つ)」全て↓
『名人位』
『プレ国体』(全国アマチュアビリヤード都道府県選手権大会)
『アマローテ』(全日本アマチュアポケットビリヤード選手権大会)
『アマナイン』(全日本アマチュアナインボール選手権大会)
『マスターズ』
また、団体戦『都道府県対抗』(埼玉県。SPA)優勝メンバー
…………
最終第9セット・試合映像(撮影:JAPA)↓
9番ラッキーインの配置 ↓ ※上記動画よりキャプチャー
――球聖復位から丸1日経ちました。
「まだ実感がないです。周りが喜んでくれているのは嬉しいですけど、あんな終わり方だったので自分としては勝った気はしてないですし、周囲からも突っ込まれてます(笑)」
――劇的な9番ラッキーインという結末でした。
「自分でも『まさか』です。あの1番のジャンプは『これがラストショットだろうな』と思って撞きました。外したら大坪さんに取り切られるだろうし、1番が入ったら自分が行けるかもしれない。成功率が低いジャンプだということはわかっていたので、これが最後だという覚悟はできてました」
――確かに難易度が高そうなジャンプでした。空クッションという選択は?
「もともと大坪さんの狙いとしては、その前の1番でのセーフティの時に、手球を7番の裏に止めたかったんじゃないかと思うんです。もしそうなっていたら空クッションしかなかったんですけど、結果的に手球は7番には隠れなかった。そうなると、どれも低い成功率ですが、空クッションで行くとファウルまであるなと思ったし、あの時の自分の中では1番をジャンプで攻めるのが一番可能性の高い選択でした。テーブルが『ガリオン』なので、スレート(石板)が厚いから飛ばしやすいですし」
――そして……。
「気付いたら9番がサイドポケットに向かってすごいスピードで転がって行くところでした。入った瞬間、自分が何をしたか覚えてないです。しゃがみこんでしまったのかな(苦笑)。あの終わり方では何も言えませんが、本当はマスワリで勝ちたかったです」
――3年前は大坪選手にマスワリで上がられましたね。それをやりたかった?
「そうですね。3年前は僕が先にリーチをかけて、プッシュアウトから大坪さんに縦バンクを入れられて取り切られて、最終ラックは大坪さんのマスワリでした。だから今回、最終セット(第9セット)のバンキングを僕が取った時は『もしかするとこれは……』と少しドキドキしました(※交互ブレイク制の試合では、ヒルヒル(6-6)で迎えた最終ラックのブレイク権はバンキングの勝者にある)」
――全9セット、実質9時間。全体的によく撞けたと言えますか?
「内容的にはちょっと……というか全然でした。ポケットも渋かったですし、特にサイドポケットが渋かったんで、何回か取り方を変えた時もありました。もちろんプレッシャーもありましたし……その辺りの経験がまだまだ足りないなと思わされました」
――試合中に「ヒネリが合わない」とも言っていましたね。
「はい。ヒネった時のズレ具合が掴めないまま終わったような感じでした。特に逆ヒネリが合わせられなくて、撞点を抑えるぐらいしかできなかったです。順ヒネリもちょっと厚抜き(あつぬき。厚く外すこと)が多くて、レール際の球とかは何度かそれで外してます。全体的に見ると、10球以上は普段やらないような外し方をしたかなと思います」
――逆に、評価できる部分とは?
「気持ちですかね。最後まで頑張って粘っていたから、ああいう結果になったのだろうとも思います」
――以前球聖だった頃より、試合中のメンタルの揺れが少ないように感じました。
「ミスして落ち込んだ瞬間があったり、ちょっとだけ引きずった時もありましたけど、基本的にはずっと一生懸命撞けていたと思うし、なんとか切り替えるようにもできていたので、そこに関しては悪くなかったと思います。せっかくのああいう舞台なので『楽しもう』とも思ってました」
――楽しめましたか?
「楽しめた……んですけど、最後がやっぱり(苦笑)」
――戦前から『大坪さんとまた撞きたいと思っていた』と語っていましたが、実際撞いてみていかがでしたか?
「僕よりも上手いし強いしで、昨日は僕が太かっただけです。やはり攻撃的に行かれる方ですので、攻めの上手さが際立ちますけど、セーフティでもなんでも上手いです。クッションはひょっとしたらシステムに頼らず自己流なのかなという風に見受けられました。そういう意味でも、ものすごく磨かれた感覚をお持ちなのだなと。第7セットは大坪さんが一方的な内容でプレーしてましたよね(7-1で大坪選手が獲得)。あれは僕がイメージしていた大坪さん像そのもの。『カッコいいな』『嬉しいな』と思う自分もいました」
――もつれそうな予感は試合前や試合中にありましたか?
「『もつれなきゃ勝てない』と思ってました。それか一方的にやられるかのどっちかだろうなと。実際始まってみて、すぐ第1セットを取られて、『やっぱりそうだよな』と」
――振り返ってみて、カギになったセットは?
「特には……ないです。強いて言えば、後悔したセットはあります。第4セットのヒルヒルを落としたのがもったいなかった。マスワリ配置の4番をサイドに狙って外しましたよね。あそこを取っていればセットカウント3-1にできたところが、2-2になってしまった。あのミスはその後もちょっと引きずってました」
――そうだったんですね。
「反対に、良い意味で自分の腹が決まったのは、大坪さんに第7セットを取られた後ですね。第8セットに入る前に、埼玉の仲間に、『ごめん、ここから僕は楽しむね』という話をして、残り2セットはミスしても気にせずに自分のやりたい球を撞けていたと思います。まあ、最初から好き勝手やらせてもらってはいたんですけど(笑)」
――再び球聖位に就きましたが、奪還したいと願っていましたか?
「負けた翌年(2015年)はそう思っていたんですけど、その後は大坪さんと撞きたいという気持ちの方が強かったです」
――その意味では、今回は大坪選手と長時間撞けた上にタイトルも取り戻せたということで、充実感はあるのではないですか?
「いや、うーん……やっぱり『取り戻した』という気はしていないので……。いつか、大坪さんに身体をよくしてもらって、平場で100マスぐらい撞いていただけないかなって思います(笑)」
――わかりました。最後に埼玉応援団を始めとするサポーターへのメッセージを。
「もう本当に、多くの方に広島まで応援に来てくださってとても心強かったですし、来られなかった方や遠方の方も、多くの人がネットライブを見ていたみたいで、試合中も事あるごとに励ましや応援のメッセージをいただきました。最後まで粘れたのは皆さんの応援があったからだと思いますので、本当に感謝しています。来月(5月)には前年度覇者(埼玉県。SPA)として参加する『都道府県対抗』がありますので、また頑張ります。ありがとうございました」
(了)