2010年代の「球聖」は、
喜島安広と大坪和史の2人しかいない。
そして今年。
2018年・第27期球聖戦は、
球聖・喜島が防衛に成功し、
在位6期となった。
今年の挑戦者・中野雅之は、
喜島球聖と15年以上の親交があり、
在位4期を誇る大坪和史を「A級戦」で破り、
東日本代表の小宮裕樹も退けての登場。
そんな「最強の友人」をもってしても、
喜島という壁を乗り越えることは出来なかった。
勝負の分かれ目はどこにあったのか。
防衛達成直後の喜島球聖に、
最終決戦を振り返っていただいた。
取材協力/JAPA、セスパ東大宮店
…………
Yasuhiro Kijima
1983年1月7日生 埼玉県出身・在住
所属:『セスパ東大宮店』、『5&9』(ともに埼玉)、SPA
プレーキュー:オリビエ
ビリヤード歴:約20年
主なタイトル:
『第19期~第22期、第26期、第27期球聖位』
他、現存する「アマ個人全国タイトル(計6つ)」全て↓
『名人位』
『プレ国体』(全国アマチュアビリヤード都道府県選手権大会)
『アマローテ』(全日本アマチュアポケットビリヤード選手権大会)
『アマナイン』(全日本アマチュアナインボール選手権大会)
『マスターズ』
また、2016年&2017年『都道府県対抗』の連覇メンバー(埼玉県。SPA)
…………
――試合直後の今の感想を。
「勝ててホッとしたというのが一番です」
――自己評価は何点ですか?
「結果だけ見れば100点なんですけど、内容は50点ぐらいでしょうか。あまり良い出来ではなくて、負けていてもおかしくないようなプレー内容でした。もちろんプレッシャーもあったので、厳しい点数になるのは仕方ない面もあるでしょうし、やっぱり自分はまだまだ足りてないなと思わされた部分もありました」
――出来があまり良くなかった原因とは?
「緊張していたからだと思います。なぜか朝イチ(第1セット)は良かったんですけど、やっぱりそのまま行けることはなく。テーブルコンディションの変化も激しくて、キューが出てなかったし、タッチも合ってなかった。それは自分でもわかっていて、緊張が続いていたというか、思ったようには撞けてなかったですね。ただ、気持ちが切れたりすることはなかったです」
――体力的にはいかがでしたか?
「身体のコンディションは思ったよりは良かったですけど、疲れるのも早かったかな。前の晩は5時間ぐらいは寝られました。ちょっと早く目覚めてしまったんですけど、それも緊張してたからだと思います。でも、毎回そうなんですけど、この球聖位決定戦は一生懸命やるだけなので、試合中もスタミナが切れてどうこうというのはなかったです。今回も気力で最後までやりきったというか」
――試合中はブレイクを色々と試していたようですね。
「結局、丸一日戦っても正解はわからないままでした(笑)。1番をサイドポケットに取るブレイクの方がイリーガルのリスクは少ないだろうと思ったんで、強く打つことをベースに、そういうブレイクにしてました。ブレイクを最後まで強く打ち続けられたことは今回良かったことの一つです」
――カギになったセットとは?
「第1セットはびっくりするぐらい良く撞けました。あと頭に残ってるのは、第6セットの最後のマスワリです。3番がロングの土手撞きのフットショットみたいになったヤツ。あのマスワリは良く撞けたと思いますし、あれでセットカウントを4-2にすることが出来たのは大きかったです」
――最後まで、セットカウントで相手に先行を許すことはありませんでした。
「そうですね。追い込まれるような精神状態にならなかったのも良かったです。強いて言えば、第4セットを落としてセットカウント2-2に追い付かれた時は、少し嫌な感じがありました。出来れば自分が3-1にして後半に向かう流れにしたかった。あの第4セットはスコアも2-7と差を付けられてしまったので、『今年もフルセットまで行くんじゃないか』なんて思いも一瞬頭をよぎりました」
――ですが、第5セットから3連取で勝利。
「第5セットは、僕がミスしても後球が悪くなったりとか、ツキがありましたね。そのままの展開で第6、第7と行けたと思います。自分としてはテーブルコンディションに四苦八苦していて、良い内容で取れたとは言えないけど、ツイてたと思います。それを言うと、第1セットでもありましたよね。僕が1番でセーフティミスしたけど、撞きヅラの形が残ったりとか」
――テーブルコンディションの難しさについては中野選手も触れていましたが、具体的にはどんなところですか?
「湿度の変化にともなって、クッションスピードと出方が毎セット、コロコロ変わってました。良くなる時もあったんですけど、またすぐ悪くなったりして、自分のホームグラウンドではあるけど合わせるのが難しかった。普段、あのテーブルのクッションは遅めなんですけど、本番は別の台みたいになってました。でも、ラシャも新しかったし、全くわからないコンディションではなかったので、合わせないとダメな範囲だったと思います」
――最後の第7セット、相手のブレイクイリーガルから取り切って上がりました。7番へ出しミスがありましたが、1クッションのキックショットでリカバー。
「5番から6番にもうちょっと厚くポジションしたかったけど、思ったよりフリが付いちゃって。そのまま撞いたら手球は9番に当たるので、当たらないようなラインを作って、短クッションから右ヒネリで7番・8番の方に動かそうと。そうしたら短クッションに入った後に9番に当たってあんな形になってしまった。でも、あの7番の空クッションは自信があったというか、入る気がしてました。8番に薄く出るのもわかっていて、そっちの方が自信なかったですね。結果的に8番も決められて良かったです」
――これで在位6期です。
「自分ではその数字に特別な思いはないですし、数が多いから良いとも思ってません。これまで球聖位になられた方の過半数がプロに転向していますので」
――友人でもある中野雅之選手とこの舞台で戦った感想は?
「実際にやってみたら、ちょっとやりづらかったかな(笑)。でも、純粋な気持ちで戦えたことは良かったと思います。アイツとは17、18からの付き合いで、一番最初はジュニアオリンピックカップ(全日本ジュニア選手権)の決勝で当たって、僕が負けてます。その後、僕が沖縄から埼玉に移って来てSPAに入り、彼も当時TPAにいて、連盟員同士ということもあって交流も増えて、どんどん仲良くなりました。お酒を飲みながら『都道府県対抗、勝ちたいよね』とか目標を語り合ったりして(笑)。さらに親しくなれたのは2014年の球聖戦からですね。アイツが大坪(和史)さんに『挑戦者決定戦』で負けて、翌日僕も大坪さんに『球聖位決定戦』で負けて。『2人でまた頑張ろう』って励まし合って……。アイツは本当に良いヤツだし、球に熱いし、会社員としてしっかり働きながら、あのレベルを維持出来てるというのがすごいと思います」
――1年前の自分から伸びたなと思うところとは?
「正直、レベルが上ったかどうかはわかりません。でも、練習の質は良くなったと思います。今回はお店のオープン前の時間に練習してたんですけど、毎日すごく集中出来ていて、1時間もすると疲れちゃうぐらい。限られた時間の中で濃い練習が出来たと思うし、それによって一球一球に対する姿勢が変わってきたと思います」
――わかりました。最後に応援してくれた人達に一言。
「SPAの仲間や『セスパ東大宮店』のお客さんなど、たくさんの人に見に来ていただけたことに感謝しています。お店のお客さんの中には、球聖戦というものがまだよくわからない方もおられましたが、そういう方も応援してくださったので嬉しかったです。そして、素晴らしい舞台を用意してくれたセスパ東大宮店の皆さんや、運営に携わっていたJAPAの皆さんのおかげで、あたたかく、雰囲気の良い試合になったのではないかと思います。ありがとうございました。来月は『都道府県対抗』(和歌山開催)があります。僕もSPA(埼玉)メンバーとして3連覇を目指してまた頑張ります!」
(了)