2013年4月に行われた
アマチュアポケットビリヤード
競技界の最高峰の大会、『球聖戦』。
球聖の喜島安広選手は、
挑戦者の持永隼史選手を相手に、
セットカウント0-3ビハインドからの
5セット連取という大逆転で勝利して、
3度目の防衛を達成した。
その半月後の喜島選手の言葉をここに。
取材協力:MECCA、On the hill !
写真・文:B.D.
――激闘から半月ほど経ちました。
今はもう落ち着いていますけど、一週間ぐらいは興奮状態が続いていてあまり良く眠れなかったですね。
――祝勝会は?
いくつかありました。そこで球聖戦の話になる度に色々と振り返っています。
――メールやメッセージもたくさん来たことでしょう。
「感動した。ありがとう」みたいなことをよく言われました。USTREAMを観ててくれたのかな。逆に僕がお礼を言いたいですね。
――ズバリあの日の自己採点を。
良いことも悪いこともありすぎて計算ができません(笑)。
――自分の力は出せましたか?
何とも言えないですね……。まず勝ったこと、それがとにかく良かったと思います。自分の為にも、応援してくれた人達の為にも。
――相手にリードされていた時の心境は?
スコアボードのカードをめくっていたのがSPA(埼玉ポケットビリヤード連盟。喜島選手も所属)の方だったんですが、その人に相手のスコアばかりめくらせていたのが悔しくて。「何やってるんだろうな」と。
――持永選手のプレーをどう見ていましたか?
いい球撞いてましたね。第2セットではツキも呼び込んでいた。一方で僕は思うようには撞けなくて……。
――熱くなっていた?
少しは。でも、プレーに影響するほどじゃなかったし、粘れば絶対僕に流れは来るとは思っていました。
――持永選手と初対戦でしたが。
名人にもなっていた選手なので、戦う前から僕が挑戦する側の気持ちでいました。始まってみたら、全てにおいてアベレージが高くて、技術力をすごく感じました。こちらが選択ミスをするとまずやられてしまう感じで。
――そうでしたか。
今も思うんですが、持永選手だから僕もあそこまで頑張れたというか。防衛の最多記録(3回)に並ぶという時の相手が持永選手で良かったと思います。
――僕は取材していて、0-3になった時に「これは……」と。
僕も悪い結末が頭をよぎりました。あの第3セットは本当に取りたかったのに落としちゃったので。
――第4セットから喜島選手が意識的に丁寧に撞いている印象を持ちました。
どうですかね? リズムを変えたつもりはなかったけど、慎重になっていたかもしれないですね。「後悔しないようにプレーしよう」とは心掛けていました。
――頭は真っ白ではなかった?
テンパってはいたんですけど、落ち着いてプレーできていたと思います。
――難球になってもしっかり入れていて。
完全に入れ重視スタイルでしたね(笑)。撞点も中心寄りで、ポジションがどんどん遠くなるという。
――優勝を意識した瞬間は?
最終第8セットの第8ゲーム(セットカウント4-3・ゲームカウント4-3)。持永選手が⑧でファウルした時です。それまでは全然なかった。セットカウント4-4に戻されたらかなりマズイと思ってましたし。
――一日中、声援がすごかったですね。力になりましたか?
いつでも声が聞こえてました。力になったというより、あの声援があったから腐らず諦めずいられたという感じです。
――SPAでも球聖位でも先輩である青柳高士選手の声掛けのタイミングが絶妙で。
もちろん聞こえてました。「ゆっくり行けよ」と「ツイてるぞ」、その二つしか言ってなかったですよね?(笑)
――(笑)。壁に張られた横断幕も見ていましたか?
ラックを組む時にちょうど正面に横断幕がありました。だから、毎回必ず顔を上げて横断幕を見てからラックを組んでました。その場で作ったルーティンです。
――やっぱり「自分だけの戦いじゃない」ということなんですね。
僕は弱いから、自分だけじゃ戦えなかったです。普段外さないような球が外れていた一方で、信じられないショットが決まったりしたんですが、ミスは自分のせいで成功は仲間のおかげだと思っています。
――来年に向けては?
今は6月の『都道府県対抗』だけに集中しています。あれは死ぬまでに一回は優勝したい大会で、ある意味、皆プロ意識を持って取り組んでいますから。
――その後は?
まだ今は考えられていないですね。少なくともプロになる気持ちは今はありません。来年の球聖戦や今後のことについてはゆっくり考えたいと思います。