球聖戦の歴史上初の
「在位5期」という長期政権の
記録がかかっていた喜島安広(埼玉)。
その喜島と12時間に及ぶ死闘を演じて
最終的にわずか1点の差で
タイトル奪取に成功したのが、
「トップアマ中のトップアマ」と評される
広島が誇る名手、大坪和史だった。
自身6年ぶり2度目の球聖位。
その道程を振り返る。
写真・文:B.D.
…………
Kazufumi Otsubo
生年月日/1972年12月21日
ビリヤード歴/約20年
出身・在住/広島県
所属/ビリヤードみゆき
日本球台中国産業
1999年全日本ローテーション優勝、
2008年第17期球聖位、
2014年第23期球聖位などタイトル多数
――激闘から4日経ちました。今のお気持ちは?
「とりあえず無事に終わって良かったです」
――試合後の数日は体調が優れなかったそうですが、それは12時間・9セット・98ラックという超ロングゲームのダメージでしょうか。
「相当疲れたのは間違いないですね。土曜日の4セットだけでも疲れてしまって、『明日、大丈夫かな』と思っていたほどでした。それとは別に、土曜の夜から喉の調子がおかしかったですし、日曜日は頭の痛みもありました。緊張したせいかもしれません」
――まず、土曜日の『挑戦者決定戦』を振り返ると?
「自分の出来は良くもなく悪くもなく、普通だったと思います。僕が普通で、中野選手が少し良くなかったのかな。僕よりミスが多かったと思いますし、ミスの数の差があの展開になって、そのまま試合が流れていった感じでしたね」
――日曜日の『球聖位決定戦』は?
「長丁場だし、体力的にキツくなることを覚悟していたんですが、やはり途中からダメになってましたね。集中力がなくなるとどうしても失敗が多くなる。ミスが目立つ試合をするのは嫌でしたし、集中を切らさず最後まで行けたら良かったんですけど……。最近は普段も長く撞くことがないので、たまに試合に出るだけですごく疲れるんです」
――序盤、セットカウント3-0まで先行して、優勢に試合を運んでいました。
「そうですね。そこから1セット喜島選手に取られて、1セット僕が取って4-1にして。その次の第6セットの途中で、いけそうなところで僕がミスしてしまった。あそこですね。あそこからはもう僕はグダグダでした(苦笑)」
――今回、地元・広島の皆さんはUSTREAMを観て、応援してくれていたようですね。
「はい。広島の人達のことは常に頭にありましたし、観てくれてると思ったら心強かったです。それから、人数は少なかったけど、会場で関東にいる広島の方数名が熱心に応援してくれました。その方々の存在にはとても助けられました」
↑ラスト1ラックの取り切り(途中から9まで) 撮影:On the hill !
――なんといってもあの最後の2ラックのことをお聞きしたいです。第9セット、5-6ビハインドから。7ゲーム先取なので相手はリーチ。喜島選手のプッシュアウトを縦バンクで攻略して取り切りました。
「あの縦バンクは、形を見て『行ける』と思ったというのが一つと、多分僕がパスしたら、喜島選手は同じように攻めて成功させるだろうと思ったのが一つです。縦バンクを入れるだけではなく手球の出しもイメージできていたし、繋ぎやすい良い形になるだろうと思ってました。だから思い切って行けましたね」
――それで6-6に追い付き、最後はマスワリ。お見事でした。
「今回の2日間、ブレイクが当たったり当たらなかったりと不安定だったんですが、最後は良い当たりをしたと思います。取り出しはコンビだったけど、そこを頑張れば後は取り切れる配置だったので、変な緊張もなく、『行く!』と」
――2日間、コンビ、バンク、空クッションなど、何度も素晴らしいショットを決めていました。攻撃的なショットに自信を持っていますか?
「ああ、とりあえず攻めますね、僕は(笑)。まあその、波というか、入る時入らない時ありますが、あの最後のコンビは普通に『入る』と思いました」
――最後の最後、ゲームボール(9番)を撞く時は時間を掛けましたね。
「やっぱり緊張してたんでしょう。7から9へのポジションがボール2、3個分足らなかった。やっぱり最後の9は真っ直ぐなのを撞きたいじゃないですか(笑)。あの状況では、あのぐらいのフリでも気持ち悪かった。ここまで来て外したら全てが無になる。だから、落ち着いてじっくり狙いました」
――これで6年ぶり2度目の球聖です。
「今は『また穫れた』という嬉しさよりも、終わってホッとしている感じです。また球聖になれて嬉しいというより、喜島選手に勝てた喜びがありますね。以前、1、2回試合を観たことがあって、上手だったのを覚えていたので」
――気の早い話ですが、来年は地元で防衛戦を戦うことになります。
「そこですよね、やっぱり。前回は広島の皆が応援してくれたのに
防衛戦でいいところなく負けてしまった(※大阪の村上泰辰選手が戴冠)。あの時は集中力を欠いてしまっていい球が撞けなかった。今度はぜひ防衛したいと思っています」