仲間が用意した応援幕の謳い文句の通り、
小笠原晋吾(東京)は、
いつも通りのスピーディーで
オフェンシブなビリヤードを貫き、
ロングゲームの一騎打ちである
球聖位決定戦を
「光速で駆け抜け」た。
最強アマであり前球聖の喜島安広との
力量差を認識しながらの無欲の勝利。
挑戦者という立場の強みが
よく出ていた試合と言えるかもしれない。
早稲田大学のビリヤードサークル出身で、
一般企業に勤める会社員。
ビリヤード場育ち・
ビリヤード関連企業勤務の覇者が多い
球聖戦の歴史にあって、
異質なバックグラウンドを有した
新球聖が誕生した。
大会直後に試合を振り返っていただいた。
取材協力/JAPA、On the hill !
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Shingo Ogasawara
生年月日:1984年7月7日
出身・在住:静岡県出身・兵庫、宮城育ち・東京都在住
所属店:『AZ. Place』『キングドーム』(ともに東京都中野区)
使用プレーキュー:HOW(ハオ)
所属連盟(クラブ):なし
ビリヤード歴:約18年
職業:会社員
球聖戦参加歴:おそらく今年が4回目
アマ全国大会上位入賞:球聖戦以外はなし。プロツアー『GPE』決勝ラウンド進出3回(3位1度)、『9ボールクラシック』優勝2回
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――球聖位に就きました。
「自分でも勝てたことにびっくりしていますし、まだ全然実感がありません(笑)。試合前は、僕自身も周りの仲間達も球聖になれるとは思っていなかったです。球聖位決定戦は完封負けもありえると思っていたので、1セット取れたら良いな、2セット取れたらだいぶ頑張れた方だろうな、という感覚でした」
――優勝を決めた取り切りは穴前の4番から。プレッシャーは?
「ありました。あの前に一度、穴前の球からのポジションをミスっていたので、あの4番は少しイヤなイメージでした。撞いたらやっぱり5番に厚めに出て『やばいな』と。でも、このラックで上がらないとまくられる可能性があると思ったので、エクステンション(時間延長)を使って、今一度気合いを入れました。『一生懸命やるだけだ』と。5番から7番もやっぱりちゃんと出せなくて、7番がだいぶ薄くなったけど、カットで入れるだけならなんとかなりそうだし、手球が8番に当たっても良いし……と思って撞きました。そしたら手球は8番の横を通り抜けて、8番を入れられる所に止まってくれて。あれはラッキーでした。あの配置を取り切れて良かったし、早く上がれて良かったとつくづく思います」
――ブレイクもシュートも1日を通して安定していたのではないでしょうか?
「はい、そう思います。ブレイクは、土曜日(「挑戦者決定戦」)は始めのうち左から打ってたんですけど、的球が綺麗に散らずにグチャッとなることが多かったんで、第2セットの途中から右から打つようにしました。それでだいぶ散りが良くなってくれたので、そこからは毎回同じように打つようにして。あれは結構右をヒネッてます。イリーガルやスクラッチもほぼなくて、安定感もあったと思います。そのおかげで自分のブレイク番のラックは良いリズムで撞けていたと思います」
――土曜日(挑戦者決定戦)を終えて、日曜(球聖位決定戦)を迎えるまでは?
「普段通りに過ごしていました。あ、土曜の夜は家に戻ってから自分のプレーを動画で少しチェックしたんです。試合直後、僕はBDさんに『50点ぐらいの出来です』と言いましたけど、動画で見てみたら意外と撞けていたんだなと。あれを見て、明日(球聖位決定戦)勝つのはキツイだろうけど、この感じで撞けたら試合そのものを楽しめるんじゃないか』とは思いました。そうやって土曜日の自分の姿を客観的に見られたのは良かったですね。日曜の朝の状態も普段通りでした」
――日曜(球聖位決定戦)のプレー内容は、土曜以上に良くなっていたのでは?
「そうですね。だいぶラッキーもあったし、ミスもしてましたけど、凡ミスは減らせたんじゃないかなと思います。点数を言うなら、75点ぐらいは付けられるかもしれません」
――球聖戦ならではの、あの決定戦の舞台・雰囲気はどうでしたか?
「ずっと緊張してました。ただ、テーブルコンディション自体はめちゃめちゃ難しいという感じではなかったです。ラシャが新しくて、的球も滑って入ってくれるような状態だったので、入れ(シュート)にはそんなに不安はなかったです。でも、手球(ポジション)はずっとダメでした。自分でも笑ってしまうぐらい何度も厚く出てました(笑)。自分がチビっていてしっかりフリを付けに行けてなかったというのもあるし、新(さら)ラシャでクッションが少し跳ねにくかったんですけど、それに対応出来てなかったというのもあります。手球に関しては完全に自分の技術不足なんで、もう『仕方ない』と割り切ってやってました」
――ショットクロック(タイムルール制)については?
「どの試合もショットクロック有りでやりたいと思うぐらい良かったです。ショットクロックがあるおかげで、ある程度一定のテンポで自分も撞けたし、必要以上に遅くなることがなかったです。あのモニター(スコアとショットクロック一体型のモニター)も見やすかったです」
――これまで喜島選手との対戦成績は分が悪かったようですが、その相手にこの舞台で勝てたという嬉しさも?
「いや、そういう風に思うことはないですね。今回僕はたまたま試合では勝ちましたけど、技術的には誰がどう見ても喜島さんの方が上なので、『勝てた』という感覚は全くないです。レベルが違うということは試合前からわかってましたし、やってみてやっぱりそうだと実感しました。僕より手球(ポジション)は近いし、空クッションのレベルも違いますし、ブレイクも、試合中は良くなさそうでしたけど、もともとのレベルが違うなと撞き方を見て思いました。そこははっきり認識した上で撞いていました」
――では、小笠原選手の勝因とは?
「やっぱりブレイクが安定していたということと、前日(挑戦者決定戦)にあのテーブルで撞いていたので、コンディションを把握出来ていたというのは大きいと思います。それで僕が頭からパパッと点を取って先行出来て、第1・第2セットを連取する展開になり、多少は相手にプレッシャーをかけられたのかなと思います」
――印象に残っているシーンは?
「自分にとって大きかったなという意味では、第1セットのヒルヒルの場面(6-6)で、喜島さんが2番をサイドにシュートミスした場面(※そこから小笠原選手が取り切って第1セット奪取)。あれは今振り返るととても大きかったですね。もう一つは自分のラッキーショットですけど、第3セット、僕が6-5でリーチをかけたところ(第12ラック)で、僕が3番をミスしたら、外れた3番がぐるっと走って9番に当たり、9番が入ってしまった(※それでセットカウント3-0になった)。あれも大きかったです」
――戦いながら、どこかで『行けるかもしれない』と思うことはありましたか? 例えば、勝負を決めた第6セットではマスワリを4発出すなど、しっかりとプレー出来ている様子でしたが、勝ちを意識してはいなかった?
「いや、そんな余裕は全然なかったです。ブレイク後の配置が上手いこと出来ていたことが結構あったので、その瞬間瞬間で『ツイてるな』と思うことはありましたけど、展開的に『行けるかも』と思うことは全くなかったです。むしろ『相手はどこからでもまくって来る』と思ってました。第6セットもずっとピヨピヨ状態でした。あのセットは序盤は競っていたのもあって、全く余裕はなかったですね」
――今回得た課題とは?
「やっぱり手球が下手くそだったなと思うので、もっと丁寧に、もっと追求しないといけないなと思ってます。あと、撞くスピードもそうですね。9ボールだからサクサク撞いてもなんとかなってましたけど、10ボールとか球数の多い種目になったらまた全然違ってくると思うので、勢いだけじゃなくて頭を使ったビリヤードがもうちょっと出来ないとなと思っています」
――1年後(2020年春)、初めて防衛戦を戦います。
「いやぁ、そうですよね。練習しないといけないですね。全国のアマチュアは皆、僕が球聖になったことで『前よりチャンスある』と思ってると思うので。それをはねのける……のまでは厳しいかもしれないですけど、なんとかかわして、1回は防衛出来たらと思います」
――お店の仲間など、応援してくれた人達へ一言。
「皆さん、お忙しい中、土日を使ってわざわざ僕の応援に来てくださってありがとうございました。本当に感謝しています。下手なりに結果は出せたので僕も良かったと思いますし、皆に喜んでもらえたことが嬉しいです。来年も一生懸命頑張って、出来れば防衛をして、またこうやって皆に楽しんでもらったり、喜んでもらえたら良いなと思っています」
(了)