今までとは違うプレー内容とゲーム運び、
それに顔つきと振る舞い。
精神面の脆さや危なっかしさを感じる場面が、
以前に比べて大きく減ったように見えた。
「進撃の小娘」平口結貴の内面は、
今、日に日に経験豊富なワールドクラス
プレイヤー達に近付きつつある。
衝撃のプロ入りデビュー戦優勝から約1年。
苦悩と挑戦の10代ラストイヤー。
初めて尽くしのプロ1年目の日々の中で、
何が平口を冷静なファイターに変えたのか。
大会翌日に聞いてみた。
…………
Yuki Hiraguchi
JPBA50期生
1997年7月11日生(20歳)
北海道出身・在住
Vivapool(北海道)所属
ビリヤード歴は約13年
2013年『全日本ジュニア』
(JOCジュニアオリンピックカップ)優勝
2013年『世界ジュニア』(南アフリカ開催)準優勝
2014年『女流球聖戦』挑戦者(東日本代表)
2015年『アマナイン』優勝
2015年『アジア選手権』ジュニア女子の部3位
2016年『第8女流球聖戦』球聖位
2016年7月プロ入り
2016年『関東レディースオープン』優勝
2017年『ジャパンオープン』優勝
…………
優勝まであと4球!の動画↓ (撮影/MEZZ)
――優勝から一晩明けました。今のお気持ちは?
「すごく嬉しいです。振り返ると球回りに恵まれていて運もあったと思いますが、我慢強く戦えたから優勝が付いてきたんだなと思います。メンタル面の成長を自分でも感じられた大会になりました」
――日本人女性最年少優勝となりました。
「後から知って『そうだったんだ』と。それも嬉しいことですけど、試合前や試合中は全く頭になかったです。知らないまま撞いていて良かったと思います。それがなくても、ビッグタイトルの重みを感じながら撞いていたので……」
――「重み」とは具体的には?
「ニューピアホールは自分のプレーを貫けるかどうかが試される舞台だと感じました。ここ数年だと、栗林(美幸)プロ、河原(千尋)プロ、梶谷(景美)プロが勝っていて、皆さん、『自分の球撞き』を普通に出していたように当時の私の目には映っていましたけど、見るのとやるのとでは大違いでした。今回はなんとか私なりのプレーができたと思いますが、何かが一つでも欠けてしまうと、あの場ではすぐ自分のプレーが出せなくなる。その怖さを感じながら撞いてました」
――ジャパンオープン優勝経験のある現役プロは数名だけ。その仲間入りをしました。
「いやいやいや、トップの方々と同じ所に来たというふうには全く思えません。本当にまだまだです。今思えば、1年前の初優勝の時(2016年『関東レディース』)の方が舞い上がっていたと思います。あの時は心のどこかに『一度勝てたからまたすぐ……』みたいな気持ちがあったと思います。だからこの1年、結果が出なかった。でも、そういう経験をして、我慢する力も身に付いたから、今回は最後まで辛抱強く戦えたと思います」
――我慢強さはどうやって身に付けたんですか?
「日々、鳴海さん(コーチを務める鳴海大蔵プロ)の指導を受ける中で磨かれてきたと思います。厳しいだけじゃなく、急にやることが変わるとか、お説教が長いとか(笑)。それまでの私だったら、すぐに反発していたり、投げ出していただろうって思いますけど、最近は最後まで聞いてまずはやってみようと。というのも、自分自身でもメンタルの弱さをずっと自覚していて、国際試合に出ているメンバーを見ても断然ワースト1だなって思ってたので。そこは本当に変えていきたいと思っていたし、鳴海さんもそれがわかっていて私に厳しく接するのだろうって」
――日常で培われた我慢強さが試合でも活きた?
「試合中に踏ん張る力や、悪い流れに耐えられる力になっています。そうなると今度は球のスタイルも変わってきました。今までは難しい配置でも攻め切ってナイスショットを出して会場を沸かせるのがプロだと思い込んでました。『イレイチなんて恥ずかしい』と。だから、かっこよくポジションを取りに行って球を外して自爆、というのを何回も繰り返してた。それは今回のジャパンオープンではとりあえずなしにしようと。難しい球はまず確実に入れて、出たところで考えるのもあり。そういう考えの転換も、我慢強くなれたからできたんだと思います」
――メンタルが揺れることは2日間通して全くなかったですか?
「いや、ありました。初日も2日目も朝はおかしかったです。初日の初戦は勝つには勝ちましたけど、テーブルコンディションに合わせられなかったこともあり、意図的に慎重に撞くようにしてました。自分なりには良いペースだと思っていたんですが、マネージャーさんには全くそうは見えてなかったようで、試合後に緊急ミーティング(笑)。私もうなずけるところがあったので、その後の3試合はペースも気持ちも仕切り直して、総合的には良い状態でプレーできました」
――2日目の朝は?
「朝からふわっとした状態で、ニューピアで撞くのが初めてのせいか、テンションがバーンと上がりすぎてしまいそうな気配がありました。そんな私の様子に鳴海さんが気付いてくれて、わざと下げるというか落とす方向に持っていったんです」
――そうでしたか。わざと「下げる」。
「はい。私のことだから、ニューピアに着いて妙に盛り上がってしまい、初戦(ベスト8。vs 米田理沙アマ)でおかしくなっちゃうんじゃないかと。なので、基本的には穏やかな気持ちでおとなしく控室で過ごすようにしました。それで暴走することなく初戦に向かえたと思います。でも、序盤は緊張で何球か外しちゃってました。撞点も厚みも見ず、雰囲気で撞いてたなって。だから、素振りを増やしたりして、安心できる材料を増やしていきながら、だんだんと自分らしく撞けるようになった感じです」
――プレイヤーとして初めて立ったニューピアの舞台とは?
「やっぱり国内では『全日本選手権』と『ジャパンオープン』の最終日は特別ですね。過去2度、ギャラリーとして見に来て、『早くここでプレーしたい』と願ってましたけど、実際に選手として立ってみたら、外から見るのとはまるで違っていて。先輩プロが『ニューピアには魔物がいる』と言っていた意味もわかりました」
――魔物に連れて行かれそうになった時はなかったですか?
「準決勝(vs 曽根恭子)の序盤は危なかったです。ワンラック練習の時からタッチ感があまり良くなくて、案の定それが本番でも出てました。そして、5月の『全日本女子プロツアー第2戦』の準決勝で私が負けているというのもありますが、曽根プロがいつも通り落ち着いて自分のプレーを貫き通しているのを間近で見て、『すごい』と思って私がアワアワしちゃって。なので、0-2の時にタイムアウトを取りました。『もう今しかない』と。今までの私だったらそんなに早く取れてなかったですね」
――テーブルから一旦離れて何を考えましたか?
「『戦いたい』です。これまで曽根プロとの試合では、勝ち負け以前の問題で私が全然戦えていなかった。だから、『私らしく戦いたい』と。そこに『勝ちたい』っていう気持ちは全く入って来なかったです。だから、ギリギリの所で戻って来られたのかな」
――決勝戦(vs 范育瑄)は完全に落ち着いていたように見えました。
「ファイナルは決勝日の3試合の中で一番落ち着いてました。序盤はミスが続いたけど、タッチのイメージは合ってました。きっと相手の方がタッチ感は合ってなかったと思います」
――間近で見ていてそれがわかった?
「范選手は緊張してても顔には出さないじゃないですか。でも、タッチが変わってくるんです。以前から彼女とはジュニアの試合で当たったり、海外の試合会場で顔を合わせていて、球もよく見てきてます。上手なんですけど、怯んじゃったりするとショットスピードが遅くなってタッチ感が変わってくる。まさに昨日がそういう状態だったかなって」
――たしかに、范選手はセーフティやプッシュアウトの力加減が合ってなかったですね。
「そうですよね。あれが世界トップ達だと、序盤の私がもたついてた時や、終盤に私がマスワリで上がれなかったところ(※6-3の第10ラック)は、見逃してくれないと思います。それか、会場が日本じゃなくて台湾だったとしたら、私のミスをきっかけに范選手が声援に後押しされて生き返ってた可能性もある。そういうところで反省点はたくさんあります」
――終盤の平口プロのマスワリ未遂はかなりの好配置でした。「来た!」と思ってしまったんでしょうか。
「思っちゃいました。ブレイク直後、すごい出来上がりように嬉しくなって笑ってしまって、鳴海さんの方を見ちゃったんですよ。そういうことしてるからダメなんですよね(苦笑)。あれはすごく反省してます。でも、あの後すぐに仕切り直せました」
――最終ラックは、相手の4番のジャンプショットがオープンな配置になり、残り5球で回って来ました。
「わざと一度気持ちをしずめました。マスワリできなかったあのラックでだいぶ気持ちが上がってたんで、それを白紙に戻す意味で。『女流球聖戦』や『関東レディース』の最後は、『絶対に決める!』という気持ちで向かったんですけど、今回は逆でした。それでもあの通り、結局落ち着いてなかったですけど(笑)」
――最後、8番から9番へのポジションでスクラッチしそうになり、『止まって、お願い』と手を合わせました。
「えへへへ(笑)。『ホントにお願い』って思ってました。あの8番は身体の抑えが効かず、キューが上に抜けて行き、撞点が上がってスクラッチのラインに乗ってしまった。なにやってるんでしょうねぇ……(苦笑)。9番は結構薄めで怖い形になったので、気を引き締め直してから構えました」
――ゲームボールを入れた瞬間のことは覚えてますか?
「男子の決勝戦が続いていたので、そこまで盛り上がらないかなと思ったんですけど、皆さんの拍手がわーっと大きく鳴り響いて、しばらくそれが続いていたのですごく嬉しかったです。これだけ多くの人に応援されている中で撞くとこんなに力をいただけて、優勝するとこんなに嬉しいものなのかって実感しました」
――プロデビュー&初優勝から約1年経ってのジャパンオープン制覇。この1年でどんなところが成長したと思いますか?
「技術もそうですけど、大きく言えばやっぱりさっきも言ったメンタル面です。それは生活レベルから見直して、腹をくくらないと変われないんだなということが最近よくわかりました。まだまだくくりきれてないところもありますけど」
――我慢強くなって、ビリヤードがどう変わったのでしょうか。
「やるべきことを冷静に考えられるようになったし、選択肢を一旦並べて比較できるようになったことが大きいですね。こういうメンタル面は、日頃の練習からだけでなく、先月の『チャイナオープン』とか『CBSA9ボールツアー』(第1戦&第2戦)という中国遠征で発見したり、海外で日本の先輩プロの方々とお話させていただく中から学びました。6月は25日間ぐらい中国にいたので、たくさんの発見がありました」
――技術面は?
「全体的にちょっとずつ良くなってると思いますけど、中でも良くなったのは9オンフットラックのブレイクです。まだ完成した訳じゃないですけど、だんだんと思うようにコントロールできるようになってきています。9オンフットは1オンフットよりもブレイクの出来が大きな差になって現れると思うので練習しています」
――特設会場の新(さら)ラシャで普通に撞けていたように感じたのですが、それは数々の海外遠征で慣れたからでしょうか?
「私は昔から新(さら)ラシャで困ったことがあまりないんです。たぶん小さい頃から撞いているので、ちょんと撞いて、転がすように取って行くのが身体に染み付いているんでしょうね。それしかできなかったというのもあると思いますけど(笑)。今もそれがそのまま特設会場の新ラシャで通用している気がします。反対に、ビリヤード場のテーブルに合わせられなくなることはたまにあります。ぐっと突っ込むような撞き方をたえず求められるテーブルはまだ苦手です」
――わかりました。今後の目標は?
「具体的に挙げればいっぱいありますけど、今回こんな風に会場で皆さんに見てもらえて、すぐに反応があって、応援されていた中で勝てたことがすごく嬉しかったので、これからもっと『応援したいな』と思われるような選手になって、何度でもこんな経験をしたいです。そして、今は自分自身のことで精一杯ですけど、将来的には、私より若い人が私のプレーを見て真似したいと思ったり、ビリヤードをやってみたいって思ってもらえるような選手になりたいです。そのためには……『人の話を聞く』」
――えっ(笑)。
「聞いてください!(笑) 優勝して思ったのはそういうことなんです。コーチの話を聞く、周囲の人の意見を聞く、投げ出さずにやってみる。そういうことを普段からコツコツやっていけば結果は自然に付いてくると実感しました」
――日頃の姿勢が球に反映されると。
「そうです。今もまだ投げ出したくなる時がありますし、わがままな自分も出ますけど、人の話を聞いてコツコツ練習するしかないなと。それを続けて行った先に他のタイトルもあるんだなって今回本当に思いました。勝ちたいから練習するんじゃないんです」
――わかりました。最後に応援してくれた人へメッセージを。
「試合を見てくださった方、応援してくださった皆さんに本当に感謝しています。それから、鳴海さん、マネージャーさん、北海道の皆さん、お店のお客さん、スポンサーの皆様、お母さん、ありがとうございました。昨晩は皆さんに感謝しながら寝てました。夢の中でも感謝してました。『ああ、良かったな……』って思いながら目覚めました。本当に嬉しい優勝になりました。皆さん、ありがとうございました」
(了)