カタールの首都・ドーハ。
東京から8000km離れた乾いた砂の国は
有田秀彰が流した
たくさんの汗と涙を吸い取った。
7年ぶりの世界選手権ステージ1挑戦。
あと1点で念願の本戦出場だった。
しかし、その1点が遠かった。
願わくば1点を取り返しに行きたい。
有田はもう来年を見ている。
…………
Hideaki Arita
JPBA40期生
1975年9月21日生
鳥取県出身
世界選手権には過去3度出場
(いずれもステージ1)
1→2005年・台湾大会(当時アマ)
(※同じく当時アマの大井直幸プロが
ステージ1を通過して話題に)
2→2006年・フィリピン大会(プロ1年目)
3→2007年・フィリピン大会(プロ2年目)
カタール・ドーハ大会は初出場
――遠征、お疲れ様でした。7年ぶりの世界選手権挑戦。なぜ7年かかったのでしょう。
「もう単純に、世界選手権に行ける環境を整えるのにそれだけの時間が必要だったということです。2005年~2007年の3回はまだプロ入り前後で、自分の好きなようにスケジュールを組んでいたし、費用も捻出できたから行ったという感じでした。
その後、先々のことを考えて、長くプロ活動をするためには基盤となるものがなければならないと思ったので、まずスクールの活動に集中して、出る試合も国内だけにしていました。内心は常に世界に挑戦したい気持ちでいっぱいでしたよ」
――有田プロが海外に出ていなかった期間に、世界選手権で言えば赤狩山幸男プロの優勝(2011年)や大井直幸プロの3位(2012年)がありました。羨ましいと思いましたか?
「羨ましさは少しだけ。仲間としての嬉しさの方がはるかに大きかったですよ。2人が続けてきた努力や環境作りが実ってきて、それに見合う成果を手にしただけだと思います。
大井プロは同期(JPBA40期生)だし、カーリーとは、彼が世界チャンピオンになる前年から仲良くさせてもらっていて、そのプロフェッショナリズムに刺激を受けていたから、優勝した時は仲間として嬉しかったです」
――初めてのカタール・ドーハという場所はどうでしたか? 滞在は楽しめた?
「楽しかったですねぇ(笑)。まず、治安が良いんですよ。安心して一日を過ごせるので良かったです」
――赤狩山プロが撮った写真では、有田プロが派手なサングラスをかけて、会場行きのバスの助手席に座っていて。
「あぁ(笑)。一番前の席が空いてたらそこに座って景色を観る。これは移動時のルーティンです。BDさんも知っての通り、国内でも僕は窓際の席は譲らない男ですから(笑)。それから、サングラスは必須でした。本当に日差しが眩しくて強かったので、ホテル近くの店で調達しました。せっかくなので一番派手なヤツを(笑)」
――食事やホテルは?
「予想以上に良かったですよ。今回食事はホテルで摂ることが多かった。ちょっと値段は張ったけど美味しかったです。ただ残念ながら、現地料理ではなくチャイニーズ&ジャパニーズって感じでしたね。朝食はビュッフェ。新鮮なフルーツもあって満足でした。持って行った日本食はあまり食べませんでした」
――中東の選手と続々と友達になっていましたね。
「そうなんですよ。ホテルにはトーナメント表が貼られているんですが、朝、たまたま同じタイミングでその表を見ている人がいて挨拶をしたら、その日対戦する人だったということがあったんです。しかも、2回も。これはもう運命だろう、と(笑)。そうやってカタールの人とサウジアラビアの人と友達になりました」
――本題です。今回ステージ1で3回トーナメントを戦い、その内の2回、決定戦まで行くものの負けてしまい、ステージ2進出は叶わなかった。さぞや悔しかったのではないかと。
「いや、悔しさも確かにあるけれど、今持っている力は発揮できたなというのが正直な感想ですよ。悔いが残ることはゼロではないけど少なかった。そして、自分は落ちて他の3人(赤狩山幸男、栗林達、大井直幸)は残ったというのは、正直今の実力を表しているかもと思いました。でも、最終日(3回目のトーナメント)はすごかったですよね。日本から行った4人全員が決定戦を撞いた訳だから」
――日本でライブストリーミング配信を観ていて興奮しましたよ。
「誰だってそうだと思うけど、試合に行ったらまず自分が残れるかどうかを考えますよね。もちろん僕もそうでした。でも、最終日までに日本勢は僕と栗林プロが一度決定戦を撞いたけど、通過者はゼロ。だから、最終日は『このまま日本人ゼロは嫌だな』なんて自然に考えてましたね。自分が、というより日本が、という考え方でした。そうこうしてる内に、気付いたら『あらっ、みんな勝ち進んでるな』という状況で」
――そして、4人全員がそれぞれ別のトーナメントの決定戦を撞いた。
「あの時直感的に思ったのは、『これは皆残るな』ということでした。実際、僕以外の3人は通過を決めた。『これで俺も残れたら、最高にドラマチックだな』って思いましたよ。4つのトーナメント全てで日本人が勝ち抜けるなんてかっこ良すぎるじゃないですか。でも、そのドラマにミソをつけてしまった自分が悔しいというか情けなかった。今になってそう思いますよ。実は僕、最後にR・ガレゴに負けた後、泣いてしまってね」
――ええ、聞いています。悔しさのあまり、と思っていたんですが……。
「そうじゃないんですよ。うまく説明できないけど、初めて味わう感情でした。単純にものすごく高ぶっていたんでしょうね。その日は5試合して、2回戦ではヒルヒルで勝って、超アドレナリンが出てきてました。一日を通して良い状態で勝ち上がることができた。だから、高ぶりまくっていた感情が、最後に負けた時に勝手に溢れたんだろうなと思います。それは、3人に続くことができなかった悔しさとかじゃない。3人が残ってくれたのはすごく嬉しかったしね。
その後、J・チュアとエクストラの決定戦(※本戦キャンセル選手が多く出た場合の、繰り上がり出場権の優先順位を決める戦い)をやった時には、3人にものすごく応援してもらえた。結果としてそこでも負けてしまったけれど、仲間として嬉しかったですよ。そうやって、今回はホント色々な経験をしたけれど、全体としては悔いのないように撞けたので納得はしています」
――質問の順序が前後しますが、会場の雰囲気はどうでしたか?
「良かったですね。台湾大会の時もフィリピン大会の時も、ステージ1と2の場所が別々だったんですよ。ステージ1はビリヤード場でした。でも、今回はステージ1も2も同じ会場だったし、僕はTVテーブル(※今回は全14台の生中継があったが、1番台は多カメラで収録していた)で3回も撞けた。これは持ってるな、と(笑)。出ている選手も中東の人やフィリピン人を中心に知らない人ばっかりで、面白い試合でした」
――ステージ1が終わった後も、ステージ2の最後まで観戦していましたね。誰か注目していたプレイヤーはいたんですか?
「本来はT・ホーマンと羅立文プロを観ようと思っていたんですが、残念ながら両選手とも今回は思ったより早くに負けてしまったので……誰かなぁ……」
――気付けば良く観ていたという人だと?
「そういう意味では、J・チュアかな。ステージ1で対戦した(※1勝1敗)からっていうのもあるし、彼はステージ2での戦いぶりも良かった。攻撃力があるし、若いから思い切りも良い。どれだけ戦えるのかなっていう風に観ていましたね(※結果は5位タイ)。彼は去年の『全日本選手権』でも3位。ガレゴも言ってたけど、フィリピンの若手世代でNo.1の評価なんだそうです」
――ファイナリストのN・フェイエンやA・オーシャンについては?
「正直そこまで注目して観てはいなかったです。両選手とも準決勝以降を観ただけなので、いわゆるヨーロッパスタイルを貫いて戦っているなぁというぐらいで。特にフェイエンは気持ちとショットにブレがないなと思いましたね。でも、じゃあなんで、同じヨーロッパでより実績のあるD・アプルトンやT・ホーマンが今回は勝ち残れなかったのか、それは多分、カーリーにはわかるけど、まだ僕にはわからない部分です。
ファイナルも、僕はオーシャンvs張玉龍の準決勝がかなりハイレベルだったから、そこを勝ったオーシャンが優勝するんじゃないかと思っていましたが、栗林プロは戦前に『これはフェイエンですね』と。まだ僕にはわからない部分です(笑)」
――最後に。有田プロは来年も世界選手権にチャレンジしますか?
「したいですね! 来年もステージ1からの挑戦になると思うのでまずステージ1を突破したい。今回はあと1点が届かなかった(※1回目のトーナメントの決定戦で台湾選手に6-7で敗戦)。あの1点と気持ちをドーハに置いてきたので、それを取り返しに行きたいですね」