「花の40期生」の一人として
JPBAプロになった村山博之。
ローテーション種目の「全日本」
タイトルを持つ選手であり、
勤務する『バグース』では
社員として業務をこなしながら
インストラクターとして
多くのお客さんにビリヤードを教えてきた。
その彼が丸7年のプロ活動を経て
2013年4月いっぱいでプロを引退し、
バグースも離れることになった。
そこにはどんな想いがあるのか。
この先、ビリヤードは?
話を聞いたのは4月末。
彼はとっくに前を向いて歩いていた。
写真・文:B.D.
※取材時の模様はこちら。
――プロとして最後の試合も、バグース社員として最後の勤務も終えました。
「終わったなぁ」と。それだけです。もう仕事でキューを握らないんですよね。そう考えるとちょっとおかしいというか(笑)。
――最後の『北海道オープン』はどんな気持ちで戦っていたんでしょうか。
ふわふわしてましたね。自分でも自分の気持ちがどこにあるのかわからない。「勝ちたい!」と覇気が出てきたり、「これで終わりかぁ」と感慨深い心理状態になったり。
――最後は同期の有田秀彰プロに倒されて。
2回当たってきっちり2回やられました(笑)。アマ時代から相性悪くて散々負けてるんですよ。
――さて、聞きます。なぜプロを辞め、職を変えるのか。
うーん、一言で言えば人生を考えた結果です。僕、去年の12月に30歳になったんですね。やっぱり現状を考えたり将来を考えたりするじゃないですか。そして、年始に決断しました。「辞めよう」と。
――「ビリヤードを仕事にはしない」ということを?
結果としてはそう。僕は「いつかはビリヤード場を開きたいな」とも思っていたんですよ。でも、ビリヤードは稼ぎのタネにするのではなく、生涯スポーツととして純粋に楽しむものにしたいという気持ちが強くなりました。
――村山プロはバグースでも優れた社員だったと聞いています。いち社会人としてビリヤード業界ではないところで力を試したい気持ちもあった?
ありましたね。バグースではインストラクターとしてだけでなく、店舗マネージメント業務など、一般的な業務も多くやらせてもらっていたので、この職歴や経験でビリヤードに全く関係ない所で転職活動をして入れるところがあるのか。あったとして入ってからやっていけるのか。そうやって自分を試すことにも興味がありました。
――でも、葛藤はあったでしょう。
初めの内は。これまでの環境や待遇などに100%満足していたら、辞めるという発想も出てこない訳ですし。でも、僕の性格上、一旦決めちゃったらすぐにポジティブになっていくんです。今は100%ポジティブですよ。
――誰にも言わず転職活動を?
はい。濃密な3ヶ月でしたね。完全に心を決めて、次の会社も決めてから、3月中旬にプロの先輩でありバグースの上司である西尾(祐プロ)さんに言いました。
――職は変えても、JPBAプロであり続ける選択もあったのでは?
できたと思います。数社内定をもらったんですが、自分が行く会社だけがプロ活動というかダブルワークがダメな所で、他なら大丈夫でした。でも、僕はその会社が良かったのでプロは諦めました。
――そこまで決めていたとなると、西尾さんにも「相談」というより「報告」だった訳ですね。
はい。やっぱり自分以上の経験をされていて、僕のこともわかって下さっている先輩なので、「なぜだ」とは聞きません。「そうか」と。でも、次を心配して下さいましたね。「大丈夫なのか」と。
――わかります。
西尾さんもそうですし、このことは、自分がこれまでお世話になった関川(賢示)プロや銘苅(朝樹)プロに報告した時もそうでした。
――話をしていて回顧モードになる訳でもなく?
ええ。僕も「また別の所で頑張ります。これからもよろしくお願いします」という感じでした。
――この1ヶ月ぐらい、屈託なく笑っている村山プロの顔しか見ていなくて。それはもう心を決め切っていたからだと思うんですが、この4ヶ月、感傷的になった瞬間はなかったんですか?
ブログで「辞めます」と書いた日はそうでしたね。西尾さんに報告した次の日です。要は引退宣言ですから。「投稿」ボタンをクリックをする時に、「ああ、もう後には引けなくなったなぁ」と思いました。
――あのブログ、皆、寝耳に水でしたよ(笑)。
何十人という人から電話やメールが来て。僕も全然対応が追い付かなかったです(笑)。
――次の会社はどういう職種なんですか?
管理・マネージメント業務の会社です。自分の経験も活かせる所なので楽しみです。
――いつから?
5月からです。
――ビリヤードは?
まず仕事をしてみないとわかりませんが、時間があればもちろん撞きます。週3以上でやりたい。地元や行動範囲内に良いビリヤード場があって、以前から交流のある方も多いので普通に遊びに行きますよ。
――アマになったら球撞きの質とかスタイルが変わるんでしょうか?
今すでにそういう状態なんですが、キューが出ますね、プロでやるより(笑)。攻めっ気が強くなる。
――へえぇ。
やっぱりプロって「ミスしちゃいけない」という所で戦ってますよね。でも、アマって「ナイスショットをしたくなる」んだなぁと。これは自分がそういう立場に戻ってわかりました。
――プレー内容が変わりますね、それは。
変わります。そういう精神面ってホントにすぐプレーに表れますよ。今の僕は縦バンクに行く時に穴が広く見えてますから(笑)。
――(笑)。ちょっと回顧モードに引っ張って良いですか?
どうぞ。
――JPBA40期生でプロ活動が丸7年でした。
僕は7年は長かったなと思います。プロ公式戦は……100試合ぐらいでしょうか。全部出ました。
――プロ入り当時と今とを比べたら何が違いますか?
この数年は良くも悪くも試合に対して冷静だったですよね。一つ一つの試合に入り込めてはいなかったかもしれない。昔はもっと熱かった。……というか焦ってたのかな?(笑)
――プロ活動の楽しさとは?
試合の緊張感。純粋に緊張する中で撞くのが好きでした。
――練習は?
僕は一人練習が多かった方だと思います。一人で技術を磨いて試合というプレッシャーの中で試すことが楽しかったですね。お遊戯会じゃないけれども、試合は発表する場でした。練習したものができたら嬉しいし、できなかったら悔しいし。
――嬉しかった試合は? やっぱり優勝した『全日本ローテーション』ですか?
いや、2007年の『北海道オープン』の準優勝の方が嬉しいですね。あれがプロ入り初のちゃんとした賞金をもらった試合だったんです。会社に出す報告書にようやく良い成績を書けたんですよ(笑)。
――その2年後に全日本ローテションで優勝しました。
9割のプロが優勝することなく辞めていく世界ですから、それはもちろん勝てて良かったです。
――インストラクターとしての良い思い出は?
それはもう、自分が教えてるお客さんが上手くなっていったことです。それと、マイキューを持つ常連さんが増えていったこと。僕はバグースに9年前に入って、すぐ町田店を担当したんですが、元々お預かりキューが全然ないお店だったんですよ。それが最大で100人程になりました。
――すごいですね。
買ったキューで楽しそうに撞いているお客さんを観るのが何より嬉しかったです。顔がみな子供になってますからね(笑)。
――それを見守っている村山プロを見られないことが残念ですが、ひとまずお疲れ様でした。
ありがとうございます。ビリヤードは続けていきますし、試合にも出られたら出たいと思っています。これまで応援して下さった方には、またそういう場でお会いできたらと思います。
――わかりました。では……。
飲みますか(笑)。
村山博之さんはこんな人→
元JPBAプロ(40期生)
2013年4月で引退
2009年『第59回全日本ポケットビリヤード選手権大会』
(現:全日本ローテーション)優勝者
1982年12月6日生まれ。A型・射手座
東京都在住
旧勤務先は『バグース』(2013年4月まで)
プレー歴は約13年