2005年、当時25歳で
アマチュアポケットビリヤードの
国内最高峰タイトル『名人位』に就き、
一度防衛も経験した大阪の田中裕也。
ビリヤードを本格的に始めて
約5年で戴冠した若武者の快挙は、
驚きをもって伝えられた。
名人位失冠から約12年。
「次」を期待されながら
なかなか勝てない日々は
「ほんまにキツかった」と語る。
しかし、今年(2019年)、
2度の海外遠征を経験し、
『四国オープン』と
『日本縦断オープン 関西』で優勝。
そして遂に『アマナイン』
(全日本アマチュアナインボール選手権)で、
自身初の優勝を飾り、約12年ぶりに
アマ個人全国タイトルを手中に収めた。
何が彼に強さをもたらしたのか。
アマナインの翌日に話を聞いた。
写真協力/On the hill !
…………
Yuya Tanaka
生年月日:1980年8月26日生
出身・在住:大阪府堺市
所属店:『ビリヤード ナイン』(大阪府和泉市)
使用プレーキュー:『コグノセンティ』(ノーマルシャフト)
使用ブレイクキュー:『プレデターBK』(KQシャフト)
ビリヤード歴:20年
アマナイン参加歴:本戦はおそらく5回。以前までは5位タイ2回が最高
公式戦タイトル:
2002年『全日本ローテーション B級の部』優勝
2004年『都道府県対抗』大阪(ORC)優勝メンバー
2005年~2006年『第45期&第46期 名人位』
2012年『TADカップ』優勝
2019年『四国オープン』優勝
2019年『日本縦断オープン 関西』優勝
2019年『NZ Open 9-Ball』3位
…………
――アマナイン初優勝の感想からお願いします。
「素直に嬉しかったです。アマ全国タイトルから遠ざかっていたこの12年、すごくしんどかったですから。来年の大会ポスターに大きく載るのも嬉しい(笑)」
――12年……名人位を離れてもうそんなに経つんですね。
「はい、それからアマ全国タイトルでは優勝争いにも絡めてなくて……。今でも勝ちたいと思って現役でやってる自負もあるし、やってきたという過去もあるから、なんにも結果を残せてないことがキツかったです。結果が出てないと色々と言われますしね。
それに他の選手達、例えば、昔からよく知っている鏡園(勝)が2017年のアマナインで優勝したり、すごく活躍してるじゃないですか、この数年。そういうのを見聞きするとすごく悔しかった。メンタル崩壊しそうでした(苦笑)。
あの2017年、ゾノが優勝した一方で、僕は大阪予選の最終でヒルヒルで負けて本戦の舞台にさえ立てなかったから、もう悔しくて悔しくて。そういうことやプライベートなこととか、いろんなことが重なって、特にこの2~3年はほんまにキツかったです」
――今回のアマナインの決勝戦(vs 浜田宗一郎)、映像(下記参照↓)では落ち着いてプレーしていたように見えました。
「だとするとそれは動画だからですね。画面に見えない所でいっぱいいっぱいな顔をしてたと思いますし、心拍数も上がってて、全く落ち着いてなかったですよ(苦笑)。現地にいた人には僕がちびっていたことが丸わかりだったみたいです。
特設会場の新(さら)ラシャやし、コンディションも良いし、ポケットも甘いんで、ほとんど入れで苦労することはなかったですけど、『マスワリ何連発した』とか、『何も出来んと負けた』という話を会場にいてよう聞いてたし、僕自身も昨年マスワリ7発食らって負けたという経験もしてるから、2日間、気の休まる時がなくてしんどかったです」
――大会中、心掛けていたこととは?
「絶対、妥協と横着だけはせんとこうと。なかなか出来ないことですけど、それはいつも思ってます。妥協と横着をして負けたら悔いしか残らないんで。ちゃんと取り方を考えて一生懸命プレーする。それで失敗したのなら、それはもう技術とかコンディション対応力がなかったと割り切れるじゃないですか。そう思えるように、その瞬間瞬間で出来る限りの下準備はして頑張ろうと。それを2日間徹底出来たと思います。おかげで、身体も頭も使い切った感じがあります。大会終わって2kgぐらい痩せてました(笑)」
――優勝を決めた第13ラックの心理状況は? ブレイクが入って1-9コンビに行きましたね。
「あれは絶対行ったらあかんやろうけど(笑)。3番がサイドの角(ツノ)のすぐ脇のクッション際にあったから難しいマスになるなと思ったんです。自分も取り切れるかどうかわからない。相手もこの3番を上手く決められなくてまた回って来る可能性もある。そういうことを考えて、手球の動きだけ決めてコンビに行きました。
でも、時間(タイムルール)に追われてて全然ちゃんと狙えてないし、まあ、あのコンビは入ることないですよね(笑)」
――大きく外れましたね。
「はい(笑)。でも、相手が1番のバンクを外してくれて、そこから取り切れました。全く思うように手球のポジションは取れてなかったですけど、妥協は一切せず、出来うる限りでメンタルも保ちつつ、しっかり頑張った方じゃないかと思います。
ただ、最後の7番から9番はしょうがなくバタバタで出して……、あの9番はむちゃくちゃ遠く感じました。普段だったらなんてことない球で、まあまあ得意なはずやのに、『外すんじゃないか』という恐怖感を久しぶりに味わいました。ちょんと軽く撞いて何かあったら嫌だし、しっかり強めに撞きさえすれば、スクラッチは絶対ないと思ったんで、あんな強さになりました。周りからは『ようあんな強く撞いたな』って言われましたけど、僕はもうあれじゃないと入れられなかったです」
――ゲームボールを入れて、テーブルを手で叩いてからキューを掲げていました。
「台を叩くのは人の真似です(笑)。去年(2018年)の『全日本選手権』を見に行った時に、女子優勝の史天琪(中国)がやってたんですよ。『カッコええな』と思ったんで、パクらせてもらいました。
余談になりますけど、女子優勝の佐原弘子選手とは、彼女が女流球聖になった頃(2012年)ぐらいから仲良くさせてもらっていて、『いつかタイトル戦で同時優勝しよう』なんて話してたんです。彼女は頻繁に優勝するような人ですけど、僕は全然上に行けてなかったから、今回はもう二度とないようなチャンスでした。そういう意味でも、ほんまに優勝出来て良かったなと思います」
――4月の『四国オープン』と5月の『日本縦断オープン 関西』で優勝して、そして今回アマナインも制覇しました。強くなれた理由とは?
「今年に入ってから、『また本気でビリヤードをやってみよう』と思ったというのもありますし、久しぶりに海外でプレーしたことで、球に対する意識が変わったことが大きいと思います。明らかにその後から結果が出てますから」
――まずはチャイニーズ8ボールですね。
「はい、あれはポケットビリヤードであってポケットビリヤードじゃないというか、とにかく別物ですよね。球の狙い方にしろ何にしろ違うし、僕ももう始めは全くゲームになってないレベルでした。それでも今年4月に中国で大会(『チャイニーズプールマスターズ』)に出させてもらって、すごく得るものがありました」
――例えばどんなことでしょうか?
「一球の重みをはっきり意識しました。一球入れることに対しても、一球のフリを間違えないことに対しても、すごく神経を使って撞くようになりましたね。そういう経験をさせてもらって帰って来たら、ポケットビリヤードの試合が前よりだいぶ楽に感じられました」
――そして5月には9ボールの『NZオープン』(ニュージーランド)で3位に。
「あれは、マシュー(大会優勝者。ニュージーランドNo.1プレイヤーのマット・エドワーズ)に1回勝っただけに優勝したかったなぁ(笑)。
NZオープンは雰囲気の良い大会で皆フレンドリーだったし、すごく楽しくビリヤードが出来ました。マシューに勝ったら、『アイツ、すごいヤツなんじゃないか』みたいな空気になってて(笑)。ニュージーランドの人たちは、自分の試合の勝ち負けに関わらず、大会そのものを楽しんでいる感じがあって、僕自身ビリヤードの楽しさを思い出したようなところがあります。
中国とニュージーランド、この海外2大会は本当に出て良かったと思うし、そのおかげで強くなった部分もあると思います。やっぱり海外で撞く経験っていうのはデカイですよね」
――この先もアマタイトル戦に出続ける予定でしょうか。
「はい、出られるものは全部出たいし、アマナイン獲ったからって大きな口叩くなと思われるかもしれないけど、獲れるタイトルは全部獲りたいと思っています。
最大の目標は『名人位』返り咲き。名人はビリヤードを始めた時から一番欲しかったタイトルでした。なにしろ名前が良いですよね。名人ですよ?(笑) 僕、2007年に名人位を失ってから、毎年目標にしていたのが『名人位返り咲き』やったんですよ。過去に松井実さんだけしか例がないことだし、それが出来るのって元名人位だけじゃないですか。
だから『次にやるのは自分や』って言い聞かせてたんですけど、先にやられましたね、喜島安広に(笑)。喜島くんはアマ個人全国タイトル(6つ)もコンプリートしたし、僕がやりたいこと全部やってる(笑)。それでもやっぱり名人返り咲きは目標です。今年はそれと、『マスターズ』、『国体記念大会』(鹿児島)、それに『アマローテ』に出ます」
――最後に、応援してくれた人達にメッセージがありましたら。
「僕はそんなに人付き合いが得意じゃないですし、試合でも今までそれほど『応援されているな』って感じたことはなかったです。でも、ここのところ海外に行ったり、各地の試合で結果が出るようになったおかげなのか、結果を気にしてくれたり、応援してくれたり、一緒に喜んでくれたりする人が思った以上にたくさんいるんだなと思いました。
自分のことを何かしら気にかけてくれる人がいてるっていうのは、ほんまにありがたいですよね。ここ最近改めて痛感しています。アマナインの優勝後にもたくさんLINEとかメッセージをいただきました。連絡をくださった方には個別に返事はしていますが、ここでも『ありがとうございました』と言いたいです。
特にゾノには感謝しています。2017年にゾノがアマナインを獲った時に、僕は悔しくて『おめでとう』が言えなくて、それをずっと申し訳なく思ってました。今回僕が決勝戦を撞く前にゾノから『頑張れ』って連絡が来たので、2年前のことを謝ったら、『そんなことはいい。勝つことが大事や』って返してくれました。それがすごく嬉しかったです」
(了)