今年でプロ(JPBA)13年目。
『花の40期生』と呼ばれた世代から、
また一人、「日本一」が誕生した。
2018年晩秋の『全日本選手権』で
高野智央が初優勝。
フィリピンや台湾のトップ選手を
ことごとく打ち破り、
最後は栗林達との
「23年ぶりの日本人対決」
となった決勝戦を制して、
拳を掲げ、表情を緩ませた。
勝利までの道のりを
本人に振り返ってもらった。
…………
Tomoo Takano
1978年8月20日生
神奈川県出身
JPBA40期生
2007年『関西オープン』優勝
2014年『関東オープン』優勝
2018年『全日本選手権』優勝
他、上位入賞多数
『インペリアル』(東京・水道橋)所属
↓ 決勝戦ラストラック
――ゲームボールを入れた瞬間のお気持ちは?
「『ようやくここまで』という思いと……一言で言うと幸せでした。でも、終わってすぐは勝った実感がなくて、『えらいことをしちゃったのかな』です」
――その後、実感は湧いてきている?
「はい、じわじわと。人生をかけて挑んでも、全日本選手権を獲れる可能性はすごく低いじゃないですか。人から『今の現役JPBAプロで全日本選手権のタイトルを持っているのは利川(章雲)さんと高橋(邦彦)さんしかいない』と言われて響くものがありましたし、『大きなことをしたんだな』と思いました。あと、2018年はプライベートも本当に目まぐるしくて、急展開がたくさんあって、すごく人生というものを考えさせられた一年だったんですけど、終盤にさらにすごいことが起こったなと」
――決勝戦(vs 栗林達)の序盤は焦れる展開でした。どんなことを考えてしましたか?
「球が外れても良いから、絶対に自分の球を撞こうと。決勝戦だけでなく、最終日前のベスト32(vs W・キアムコ)ぐらいからずっとそう思ってました。相手は全員格上だと思ってたし、『勝てる』とか『勝とう』とかは思ってなかった。ただ『自分に負けないように』というだけ。最終日は今までの大会で一番緊張しなかったです。大会初日はちょっと緊張してましたけど」
――試合終盤には空クッションからの1-10コンビや1-10キャノンも決まりました。
「特に2つ目(空クッション1-10キャノン)は自分でも『まさか』です。一応10番をコールしたら決まってしまって。あれは本当は手球ではなく的球(1番)を10番の方に走らせるつもりでした。空クッションから行って、手球と1番を短―短に分けるイメージ。だけど、撞く直前に『これだと短いな』と思って長めに撞いたんです。そうしたら当て前(当たり方)が変わって、手球が10番に向かって行ったという。普通なら撞く瞬間に狙いを変えたら絶対失敗しますよね。それがあんな形で10番が入っちゃって……。『なにこれ!?』って楽しくなってました(笑)」
――リーチをかけたラックと上がりのラックもいつも通りに撞いているように見えました。緊張感は?
「少しだけ、それなりに緊張はしていましたけど、最終日の他の試合と変わりませんでした。最後の方も『勝った』とも思ってないですし、純粋に『ビリヤード、楽しいな』という気持ち。今まであの会場では、ギャラリーの目線、声、拍手の量とタイミングとかが気になることがあったんですけど、あの日は全く気にならなかったです」
――もともと今年の全日本選手権にはどんな目標を持って臨んでいましたか?
「毎年あの会場に行くと縮こまっちゃうことが多くて、それを後悔してたんで、もっとのびのび……は実際は出来ないんですけど、もっとキューを出して撞くことを心掛けていました。会場で北谷英貴プロと喋っている時に、彼が『海外選手は最初からミスを恐れずキューを出して行く。だけど、終わりに近付けば近付くほどミスしなくなる』という話をしていて、それがスッと頭に入ってきたんです。『それだ』と。その方向に頭と気持ちを切り替えられたのは大きかったです」
――ずっと縮こまらずに撞けていた?
「いや、やっぱり人間なんで、逃げたくなる場面はしょっちゅうありました。というか、逃げた時がありました(苦笑)。それで『もっとちゃんとやらなきゃ』と我慢しながら撞こうとする。ずっとその繰り返しでした。だから、相手の球はほとんど見てなくて、自分自身を見続けてケアしていた感じです。その意味では、純粋にテーブルに向かって自分の球撞きをすることに徹していたと思います」
――技術面、プレー面で良かった点とは?
「ブレイクですね。3種類ぐらいの打ち方を持って行って、上手く切り替えながらやれたと思います。決勝戦のテーブルはだいぶ難しかったので、前半は互いに効果的な打ち方を探しながらの戦いでした。僕は後半から手球を跳ねさせないブレイクにしたんですけど、それが上手くハマってくれました。それと、大会を通してセーフティと空クッションを冷静に考えられたのも良かったと思います。それで自分の展開に持って行けた局面もあったので。あとは、ベスト32あたりから、自分のフォームの状態を頭で考えられるようになったことですかね」
――それはどういうことでしょうか?
「最近、僕はテンパると、フォームがぶっとんで撞き方が変わってしまうんです。肘の位置が狂っちゃうんでしょうね。大会序盤はその兆候があったと思うんですけど、途中から良くなっていき、だんだんイメージ通りの撞き方になってきた。戦いながらそこに意識を向けて修正出来たことが大きかったです」
――5日間の中で記憶に残る場面とは?
「なんでしょう……、あぁ、飯間(智也)プロとのベスト8ですね。さっき『相手の球は見ていない』って言いましたけど、気付いたら見ちゃってました。たぶん今まで飯間プロと公式戦で対戦したことがなくて、ちゃんと球を見たことがなかったですけど、『すっげぇうめ~な』と(笑)。それは復帰(2017年)してすぐ勝つよなと思いました」
――決勝戦は互いのことをよく知る栗林達プロとの日本人対決。やりづらさは?
「向こうはわからないですけど、僕は全くなかったです。今回僕が勝ち上がって行けたのは、最終日(ベスト16)にJPBA勢がたくさん残っていたからというのは間違いないです。普段から付き合いのある大井(直幸)、クリ、(土方)隼斗がいて、羅立文、高橋(邦彦)さん、飯間(智也)、山川(英樹)さんがいた。気分的にはすごく楽でした。あの場にもし自分一人しかいなかったら、勝ち上がるのは厳しかったと思います。準決勝も、クリがC・ビアド相手に頑張ってたから、僕も柯乗中との試合を戦い抜けた。あの時は2人で一緒に戦ってたような感覚があります」
――近年はまた精力的に海外遠征に出ていました。その成果が現れた優勝と言えるでしょうか?
「具体的に『これが今回の優勝に繋がった』と言えるものはないですけど、そういうことなんだと思います。海外は結果が全ての世界。上手いヤツじゃなくて強いヤツが一番だということをいつも思い知らされますし、悔しい思いもたくさんしてきました。やっぱり人は悔しさから学ぶじゃないですか。大井やクリとは海外でも一緒になることが多かったんで、彼らの戦いを見たり、語り合ったり。そういう経験の繰り返しで、頭をクリアにして『自分の球を撞く』ことに集中出来るようになってきたと思います」
――2014年『関東オープン』以来の優勝です。
「もう4年前のことは記憶がないです(笑)。でも、4年間勝てなかったのはこの日のためだったのかなとも思っています。昔から僕にとっては『ジャパンオープン』が憧れで、欲しいタイトルで、いつも気合いが入ってました。でも正直、全日本選手権はそんなイメージすら持ったことのない大会でした。『世界選手権』で上に行くような人達がいっぱいいて、自分が勝つことなんてあるの? と。それは今でも思ってます」
――ここからの目標は?
「一個ずつ、ちょっとずつ、1cmずつ成長していきます。まずは『世界選手権』のステージ1(カタール。12月)に行ってきます。他の国際大会もチャンスがあればいつでもどこでも行きます。国内だと『グランプリイースト』から頑張ります(12月8日~9日の『GPE-8』は世界選手権ステージ1出場のため不参加)。僕はグランプリで優勝0回の準優勝7回ですから(苦笑)」
――最後にファンの皆さんに一言。
「『お待たせしました。じらしてごめんなさい』と。応援してくれた皆さん、お店(東京『インペリアル』)のお客さんと一緒に、この時この結果を作り上げたことが幸せだと思っています。僕はプレイヤーとしてこの先も日々挑戦し、進化していきたいと思っていますので、また応援してください。そして、ぜひ僕に会いにインペリアルに来てください。最後に良いですか? ……ビリヤード最高!」
(了)